平成21年11月14日。両親の金婚式の日でした。今から50年前の昭和34年の今日、両親が結婚式を挙げたのです。その日があったから今日の私が存在しているのですから、感謝しても、し過ぎることはありません。この世に送り出してくれたことに「ありがとう」と言いたいのですが、その前では言葉にすることはできません。余りにも深い思いの前では、「ありがとう」の言葉を伝えることの難しさを感じます。
しかし11月14日の一日は、日中、余りにもたくさんのことに時間を費やしてしまったため、両親の元を訪れることができたのは午後9時になってからでした。大切な一日だったのに残念なことをしてしまったと内心でお詫びをしながら、決して早い時間ではなかったのですが、今日中にお祝いができて本当に良かったと思っています。
節目の年なのに、普段と変わらない姿でいてくれたことを嬉しく思います。変わっているのに何も変わらない。その姿に尊敬しますし、感動を与えてくれます。
思い返すと銀婚式の25年前は、私は23歳でした。銀婚式だったことも知りませんでしたし、何のお祝いも言葉もなかったと思います。気持が足りなかったなぁと、今頃反省しています。
私の誕生日に、「体重3,600kgの大きくて元気な赤ちゃんでした」とメールをくれたことがありました。自分が知らない自分のことを知っているのは、この世界で両親だけなのです。記憶のない幼少の頃を支えてくれたのは両親だったのです。自分で考えることできない、そして歩くことのできない頃は両親が導いてくれていたのです。
現在の人格や性格を形成してくれたのは間違いなく両親ですから、心から感謝しています。人を思いやる気持ち、人やこの世の恵みに感謝する気持ち、粘り強い性格、コツコツと歩くような性格、人に優しく接しられる特性などは、両親が与えてくれた宝物です。
人の人格形成に両親の影響は多大なのですから、子どもを持ち育てる責任は重いものなのです。社会を形成しているのは人、その人を育てているのは世の中に子どもを送り出した両親なのです。もし、社会が良くない方向に動いているとしたら、今、親となっている世代が責任を負うべき問題です。話をしてすると両親は、自分の人生を賭けて責任を持って育ててくれたことが分かります。大人になった時に社会で必要とされる人になって欲しいとの思いが込められていた筈です。
自分のことだけを考えて行動するのではなくて、これからの社会を見通して人作りを行うことが素晴らしいことなのです。そんな人間社会の原点を教えられました。
そして気付いたことがあります。お祝いされることよりも、お祝いする人がいることの方が幸せだということです。人を祝福できるのは本当に幸せなことです。身近な人の成功に対して妬みや嫉妬の心を持つ人がいますが、それは明らかに間違いです。感謝する気持ちは妬みを持つ気持ちに、比較にならない位に勝っているのです。
子どもが親を思う気持ちよりも、もっと大きいのは、親が子どもを思う気持ちです。感謝の言葉で言い表せないものがここにあります。両親の50年の歴史の中に存在できていることに感謝し、これからも長く続くことを心から願っています。