和歌山県海南市在住の岩崎順子さんの講演会を聞かせてもらう機会がありました。40歳の夫を癌で亡くした経験の持つ岩崎さんは、厳しい時を乗り越えて、今は講演で命の大切さと家族の絆を訴え続けています。和歌山県内だけではなくて関西以外にも講演活動を続けて生命の大切さを訴えています。
大きな悲しみを乗り越えて、それを悲しみの経験とするのではなくて、生命の尊さを伝えるに至る道のりは並大抵のことではなかったと思います。悲しみを悲しみとして伝えるのは難しいことではありません。自分の感情のままを話せば良いのですから。しかし悲しみを希望として伝えるのは簡単なことではありません。悲しみの体験に打ち勝って、故人から何かを受け取っている必要があるからです。悲しみを希望に、寂しさを希望に変換させた心の作用によって、生きることはそれだけで素晴らしいものだけれども、それだけではないことを知らせてくれます。生きることには価値があるのです。
生きている価値とは、人としての信頼を築いておくことと、子どもたちに生き方を示すことの二つです。人は死に際して何を残すべきかとの問いに対しては、この二つが答えになりそうです。
人としての信頼があると周囲の人は、残された家族や子どもをずっと温かく見守ってくれます。父親がいなくなっても、父親の築いた信頼が後々まで生き続けるのです。自分がこの世を去った後に残るもの。それが信頼なのです。信頼は生きている内に築いておかなければ、死後、築けるものではありません。父親が家族に残せるものは社会への信頼という宝物です。父親が亡くなった後でも、親切を受けた方は、その家族を大切に思って、困った時には力になってくれるのです。
そしてもうひとつの価値である、生きている間にすべきことは、子ども達に生き様を見せておくことです。身体がこの世から消え去ったとしても、生き方を示しておくことが、子ども達が生きて行く上の指針になります。
ですが、この生き方というものが分かりません。子どもに示すような生き方をしているかは分からないものですし、今を生きるだけが精一杯で、模範になることを心掛けている人は少ないと思うからです。
映画やドラマのように人が見て感動するような生き方ができれば理想なのですが、そんな人生は数える程です。
どうすれば生き方を示せるのかの疑問。それは模範になろうと肩肘を張らないで、明日につながる今を生きることなのです。「明日こそは」と今を後悔する生き方ではなくて、明日も今日の続きであることを喜びに思える生き方をしたいものです。今日が駄目で明日が幸せであることは稀です。人は毎日が区切られた、違う人生を生きているのではありません。昨日を引き摺ることは止めたいものですが、余程の幸運が舞い込まない限り連続性があります。ですから今日に後悔を残さない生き方をすることが、子ども達に生き方を見せることになるような気がします。