773. 情熱

秋、若い情熱に触れました。来春、学校教師を希望している若い人と懇談の機会がありました。和歌山県の場合、教師の新規採用は狭き門です。競争が厳しいことから、保護者は別の道も考えて欲しいと思っているのですが、子どもは「絶対に教師です。天職だと思っています」と明確にこれからの道を話してくれました。他の道はなく教師の道があるだけ、そんな力強さを感じ取れました。

 何事にでも必要なものは情熱です。才能や知識も大切ですが、それを上回るものが情熱です。子ども達に教えることは科目だけではなくて生き方もあります。自らが生き方を悩み考え、自分の生きる道に辿り着いた人でないと、人に指導することはできません。単に学問的な知識を持っている人よりも、転職であると言い切れる情熱を持った人が教師に適していると思います。

 これから社会に出ようとする人からは、伸び行く情熱を感じます。これから飛び込もうとする社会に期待していることも判ります。若い人たちが飛び込んでくる社会を作っているのが先に社会に出ている私達大人です。若い人の期待を失望に変えさせないためにも、しっかりとした社会を築いておく必要があります。

 社会に出て私達の後に続く人が、社会で目指すべきものは「まだまだ遠くにある」と思うくらいに到達地点を先に示さなければならないのです。簡単に辿りつけるようなゴール配置をしているようでは駄目なのです。

 期待を持って社会に出る。期待が希望に変化し、希望の先に目指すべきものを見つけられる。そんな社会を作って若い人達を待っておきたいものです。

 教師という仕事は大変だと思います。人づくりは社会の基本ですが、人づくりは短期間で成果が見えないものだからです。学校を卒業して社会経験を積んで、何十年後かに成果が出てくるものです。その基礎を作ってくれるのは義務教育の時の教師ですが、大人になったかつての子どもは、その時代の恩師の顔を思い出すことは少ないと思います。それでも人としての土台を作ってくれた教師に間接的に感謝しています。

 自分が小学校時代の恩師の年齢を追い抜いてしまった頃、教師の偉大さと無限の愛を知ることになります。当時の先生方も、今では大半の方が定年を迎えています。先生方の人づくりは、自らが定年になった後に実って完成に向かうのです。

 これからその教師の世界に飛び込もうとする若い人がいます。これから長い、長い教師生活が待っています。情熱ある若い教師が、情熱の大きさに比例する人材を育ててくれるものだと確信しています。

 それにしても、人の情熱は会うと伝わってくるものです。情熱とは表に漲るものとは限りません。ぎらぎらしている情熱は、人として未熟な段階だと思います。本物は静かな身体から発している情熱です。表面は静かでマグマのような情熱がずっと続く確かなものなのです。


コラム トップページに戻る

前のコラムへ   /  次のコラムへ