751.何でも可能
 2009年夏。ベルリンで開催された世界陸上も凄い衝撃でした。今年の主役もウサイン・ボルト選手です。男子100m決勝での9秒58の世界記録に続いて、男子200m決勝でも19秒19の世界記録を達成しました。北京オリンピックでの信じられない記録を超える信じられない記録が並びました。

 男子200mでは100年間は破られないとされたマイケル・ジョンソン選手の19秒32を二年連続で短縮し、過去は過去であることを思い知らせてくれました。人類の進歩は人類の予想を超えています。

 男子200mでは19秒80台の記録もささやかれ始めました。これも達成できそうな感じがするのはボルト選手の言葉があるからです。

「19秒をやぶれるかどうかは分からない。でも、いつも言ってるさ。何だって可能なんだって」。凄い言葉です。「限界を設定しない。何でも可能だよ」。別の訳ですが、これが記録更新の確かな根拠です。二年連続して世界記録を更新した世界保持者本人の言葉が真実だからです。

 私達は知らないうちに、自分で自分に限界があると思い込んでいます。思い込んでいることが真実になっているのです。「自分はこの程度だよ」と思い込んでいるため、この程度の存在でいるのです。今はです。

 もし限界を設定しないで何でも可能だと本気で思えたら。限界の先に行くことは可能です。限界は他人が作っているものではありません。自分の心が作っているのです。できない、叶わないと思っているから、できないし叶わないのです。

 今はできないかも知れないけれど明日はできていると思えたら、それは達成可能な真実になるのです。要は本気で心の限界を越えられるかどうかなのです。

 ボルト選手の信じられないふたつの記録も、今生きている誰かにいつかは破られます。この記録達成を人の中に「僕にだって走れる」と本気で思いこんだ子どもがいる筈です。現時点で200mを19秒70台で走ると思うことはできないかも知れませんが、19秒19は実際に同時代の人が見たものですから、この記録が達成できると信じる誰かがいるのは当然のことです。

 限界を超える人がいるところに限界はありません。逆に限界を感じる人の集団では四方限界ばかりです。世の中、残念なことに限界の感じることの方が無限の可能性を感じることよりも多いのです。それは限界を感じている人が多いからそうなっているだけです。

 寝不足で見た夏のベルリンの世界陸上で、私達の前に限界がないことを知りました。練習をしていない100m走や200m走で限界を超えることは無理がありますが、自分がいま取り組んでいることに関しては、限界はありません。他人がどう思おうと、自分の仕事が現段階では第一人者なのです。自分で第一人者と思わなくなった瞬間から、その座から転落しているのです。

 何かに取り組んでいる私達は、「何だって可能」なのです。最低限、その分野では。自分の心に限界を作らないで自分の持つ可能性に自信を持ちたいものです。可能性は夏だけの夢ではないことは確かです。

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