原因と結果は結び付いている。このことは既に社会で受け入れられているようです。
ところが原因のまだ前に原因に至る因があるというのです。そこを探り当て解決しいことには原因が解決されず結果も伴わないようなのです。
原因の先にあるのが遠因。遠因の先にあるのが素因だそうです。つまり問題の根本にあるのが素因で、素因を取り巻く要素が遠因に当たります。素因とは種子のようなもので、その種子に外部環境の変化を与えるものが遠因。その結果開くのが花なのです。その花が原因となって、私達が果実を得られるという流れがあります。
逆に遡ると、私達が果実を得られるのは花が咲いているから。花が咲いたのは太陽の光と水があったから。太陽の光と水を与えたのは、そこに種を埋めて育てようとしたから、となります。
つまり直接的な原因があるだけで結果は得られないのです。仮に良くない結果が起きたとしたら、直接的な原因に対策を打つのではなくて、その背景にあるものを見つけ出して、その種子となるものを潰さなくてはなりません。
例えば、お金が無くて困っている。その原因は仕事をしていないからだとします。仕事をすれば問題は解決するのですが、仕事がないのは何故かと遠因を考えるといくつか挙げられます。経済危機。社会が良くない。仕事をやる気がない。好きな仕事以外には就かない。紹介してくれる仕事に好きな職種がない。などがあります。
それではここから素因を探ります。
経済危機、社会が良くない→政府の経済対策に期待すべきなので政権与党を自分で選択する行動をとる。
仕事をやる気がない→研修会や資格を取得することに能動的になる。
好きな仕事以外には就かない→やりもしないのに好きな仕事が見つかることはありません。自分を評価してくれる会社があれば挑戦する気持ちを持って対応する。
紹介してくれる仕事に好きな職種がない→他人に依存し過ぎの自分に気付くこと。自分で仕事を探す気概を持つこと。
簡単に記しましたが、原因よりも深い所に行き着きます。良く見ると原因は他己責任であることがありますが、素因に辿り着くと現実に現れている結果の責任は、全て自己責任であることが分かります。
つまり結果を出そうとすれば、自分の今の意識を変えること、今の行動を変えること、怠惰な習慣を変えることなど、自分を変えることに行き着くのです。
そうです、結果は社会が与えてくれるものではありません。社会が私に無理やりに押しつけているものでもありません。
全て自分の考えと思い、態度と行動に起因しているのです。素因とは突き詰めると、常に意識、心、精神レベルなのです。結果が良ければ素因である意識が正しい。結果が良くなければ素因のどこかに問題があるのです。結果をもたらす素因である意識は、常に、他人ではなく自分に置いておくべきです。自分の意識レベルを正しい方向に高めること。心は清らかに持つこと。精神レベルは他人の言動に惑わされないところに置くこと。
素因に遠因が加わり原因となります。そして常に原因に基づいた正しい結果がもたらされます。素因が正しければ結果も正しいものになるのです。
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