スタジオジブリの鈴木敏夫さんの記事が日本航空の機内誌(Sky word 2009年3月号)いました。その中で「自分のことを考えているヤツが悪いヤツで、他人のことを考えているヤツがいいヤツ」というコメントがありました。これは鈴木さんが映画を観ていて、思い出したことだそうです。
なるほど映画の中では、世界制覇や権力を狙っているのが悪役。悪役は常に自分の利益のことを考えています。対して主人公は、自分の危険を顧みないで他人のため、世界平和のために命を掛けて戦います。自分の利益を考えていたら、とても危険な任務を担わないことでしょう。
映画の中のストーリーだから、との声が聞こえてくるようですが、映画で描かれているのは決して浮世離れしたことではありません。正義対悪の構図は、社会の構図でもあり、自分の内心の葛藤を表してくれています。もし他人のことを考える人が映画界に存在していないとしたら、自分のことだけ考えている人が正義だとしたら、映画関係者は、「自分のことを考えているヤツが悪いヤツで、他人のことを考えているヤツがいいヤツ」というストーリーを描かない筈です。誰も思っていないことや望んでいないことを映画化しても、お客さんに来てもらえないからです。
私たちが内心で思っているけれど、なかなか実現できないことを映画の世界でスーパーマン的主人公の活躍を描き、現実では簡単でないことを映画で実現させてくれるので、映画を観た後にスカッとするのです。もし悪がかつて世界制覇を果たすような映画ばかりが作られているとすれば、単発的にはヒットしたとしても決して長続きはしないでしょうし、
観客は映画から離れることになります。
何故なら、私たちが期待しているのは、他人のことを考えているいいヤツが最後に勝利することだからです。映画で描かれたストーリーを、自分の仕事や取り巻く環境の中に置き換えてそれを実現させたいと思っているからです。
人が最も可愛いのは自分のことですから、最初は自分のために頑張ります。そしてある程度の社会的役割を担えるようになった後には、社会や国のために役立ちたいと考えるようになります。つまり自分以外の他者のことを考えるようになるのです。勿論、例外はありますが一般的には、です。
自分の人格形成や経済的自立をしっかりと確立できた後は、他者が、地域社会が、そして社会全体が良くなるような行動に移ります。これが正しいとしなければ、世界中で活動している社会奉仕団体であるライオンズクラブやーロータリークラブなどは誕生しませんでしたし、人の価値観が「自分」であったとすれば、これらの奉仕団体の活動は長続きしなかったことでしょう。
自分が土台にあって他者を抱えているような構図が、人間社会の図式なのです。そして抱えられている他者も、自分を主役に読み替えた時は、他の誰かを抱えているのです。このように自分と他者は、助け助けられの関係を持ちながら社会を生きられるのです。
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