情報公開が進んでいることは歓迎すべきことです。しかし行き過ぎてしまうと、どんな人でも個人のカリスマ性がなくなります。もし吉田茂元総理や岸伸介元首相の時代が今のように全ての行動や発言が情報公開されていたとすれば、大事を達成できていたかどうか分かりせん。大事を成そうとしたらカリスマ性が必要です。
その不必要なひと言が何度も報道され、インターネットで流されたとすれば、カリスマ性はなくなりリーダーとして烙印を押されることになります。不思議なものでリーダーの不用意な一度の発言が何度も報道されると、いつも不用意な発言をしているリーダーのイメージが形成されてしまいます。そんなリーダーこの国を託すことはできないと思うのが私達です。
直接会ったことのない人に対するイメージは、マスコミ報道によるもので形成されていきます。麻生総理はこんな人だとか、オバマ大統領はこんな人など自分の中で想像が膨らんでいくのです。
全ての行為が完璧なリーダーは存在しませんから、少しのマイナスの部分だけを取り出して報道されてしまうと、その一部分が全てのように思ってしまうのです。恐らく歴史上の出来事でカリスマ性のあるリーダーが作ってきたものは、マイナスの部分はベールに包まれていたと思います。信用できないリーダーの政策を肯定できる程、私達は寛容ではないからです。
政策決定過程や怪しい動きは情報公開すべきですが、言葉尻や枝葉の発言を大きく取り上げても仕方ないと思います。
能力のあるリーダーを一部の言葉や本人が関与しているものではない出来事でそのカリスマ性を潰してしまっては、私達の国と時代にとって不幸な出来事になります。時代を創ろうとしている人を次々に葬り去ってしまうことは、決して歓迎すべきものではないのです。カリスマ性のあるリーダーが少なくなり、どの分野でも「昔と比較して小粒」と言われることがありますが、カリスマが消えたのは情報公開と比例しているような気がします。
父親がライオンズクラブメンバーで、二代目のライオンズメンバーの方との話です。「父親の時代のライオンズクラブは、何か偉大なことをしていたような気がしています。自分が会員になって見ると、父親が同じことをやっていたのか分からなくなります」という意味の発言がありました。つまり昔と比べて活動が小粒になっていると言うことです。
昔は豪傑がいたとも聞きますが、実際に見たことがないので分かりません。もしかしたら豪傑とは見えない部分が多かったことで、欠点や全体像が隠されていたのではないでしょうか。人の全てが見えると小粒に見えるのは当然のことです。アメリカのオバマ大統領の行動が断片的にしか見えないのでカリスマ性を感じるのです。もし朝起きてからの映像、眠たい顔やパジャマ姿、歯を磨いている姿などが報道連日されたとすれば、カリスマ性は今ほどあるとは思えません。
必要以上の情報公開がカリスマ性を失わせ、人を小粒に感じさせているような気がします。昔のライオンズの活動が偉大で、今のライオンズの活動が小粒だとは言えないと思います。例えば日本のプロ野球で創世記の選手が160kmのボールを投げていたとか、弾丸ライナーで内野手の間を抜いた打球がホームランになったなどの逸話があります。誰も見たことがないので信じる以外にないのですが、トレーニング方法や指導方法が飛躍的に発展し体力も技術も進んでいる中、創世記のプロ野球人が今のプロ野球選手よりも優れていたとはとても信じられません。
レッドソックスの松坂投手の投げるボールは歴史上でも最高だと思いますし、イチロー選手の打撃は歴史上で最高の技術だと思います。オールドファンからすると、それでも昔の20勝投手や打撃の職人の方を評価することがあります。
政治家や経営者も同じことが言えると思います。今の経営者が昔よりも劣っているとは思えません。こんなに情報公開が進み、技術力で大差をつけることが難しい時代の経営者が昔より劣っている筈はないと思います。経営者の都度の発言が、即座に公開されていることから、私達と変わらない同じ人間だと思うのです。過去の偉大な経営者と接した人や言葉を直接交わした人は少なかったと思います。個人はベールに包まれていて会社の実績に対する評価が公開されていた。それがカリスマ経営者の評価を得ている理由のひとつだと思います。
このことは昔の政治家や経営者、プロ野球選手の能力や成果を否定するものではありません。むしろ時代が進んでいる現代のそれぞれの立場人と比較しても、優れていると思っているから比較しているのです。普通であれば、時代が進展するほど過去の知識や技術を基に上積みを図れますから、現代人が進んでいる筈なのです。今の知識を持った現代人が、昔にも登場していたようなものが過去の偉人達なのです。時代を飛び越えた偉人の存在が現代の基礎を創ってくれているのです。その時代、今ほどの情報公開はなかったのです。
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