長野県小布施からセーラ・マリ・カミングスさんが和歌山市にやってきました。一度お話を聞きたいと思っていたのですが、機会がなかったので残念に思っていたのですが、それが実現しました。心から嬉しく思っていますし、奇麗な心の持ち主の話は心に沁み込んできました。まち興しを実践している現役社長だけあって言葉に威力を感じました。以下は発言のあった言葉に関しての個人の解釈です。
・ |
新しい取り組みをやろうとすると必ず反対されます。「絶対に出来ない」「やっても無駄」「誰もそんなことを期待していない」など、周囲は壁だらけになります。周囲が全て反対の環境の中では、飛び出す勇気が湧いてきません。その萎縮した気持ちを打ち破るためには、反対されるほど新しいアイデアなのだからやってみる価値があると信じることです。
やれないと言われていることはやつた方が良いのです。
|
・ |
やると思ったらどこまでやるのかが大事です。やると思ってもやらない人が多いのです。やらない理由を自分で見つけて、やらないようにすることは簡単です。でもやらなければ、今よりも前に進むことはできません。やると思ったことは、やり遂げるまでやらないと意味はありません。多くの人がやろうと思って出来ないのは、本気でどこまでやろうとしているのか覚悟がないからです。
|
・ |
街をきれいにしようと思ってゴミ拾いを始めても叱られました。街の掃除は市役所の仕事だからやらなくても良いとの理由からです。でもゴミ拾いを3年間続けたら、街の景色に定着してしまいます。むしろゴミ拾いをしていない日があると、「今日はどうしたの」と尋ねられるようになります。
周囲の雑音に負けない意思を形成すると、周囲の固い石を打ち負かします。
|
・ |
何か実施しようとしたら、残念なことに足を引っ張られることがあります。でも足を引っ張られても頭は相手の届かない所にありますから気にするとこはありません。全て活動を止められる訳ではないのです。それに自分で足を引っ張ることはできませんから、他人が足を引っ張ってくれていることは、ストレッチをさせてもらっていると思うと良いのです。ストレッチで筋肉を伸ばしてくれていると思うと、より伸びやかに活動することが可能です。
|
・ |
祭りは何かを超えるために必要な力を与えてくれます。人が祭りで燃えるのは、自分を超えるためです。祭りで今の自分を超えたら、その力を地域や社会のために使いたいものです。
|
・ |
自ら何か行動を起こすと、それは周囲に伝わり波になります。自らとは水であり、一人ひとりの水の力は小さくとも、水が集まり行動を起こすことで波になるのです。波の力は波力発電のしくみがあるように大きなものになります。
|
・ |
お布施見にマラソンを企画した時に、最初協力してくれる人は少なかったようです。協力してくれなかった理由は簡単です。人は、見えないものは見えないのです。見えないものを見えるようにするためには形にする必要があります。人の意思は自分以外の周囲の人には見えませんが、意思を形にすることで周囲の人も見えるようになります。見えるものは信じられますから、見えたものが社会的に優れたものであれば周囲の人は協力してくれるようになります。
|
・ |
街に木を植えることは街づくりにおいて大切なことです。たかが緑が増えたくらいで何が変わるのかと思う人もいます。緑が増えることはどこの街でも取り組んでいることですし、特別何か新しい取り組みではないと思うかも知れません。しかし緑が増えることで街が変わっていると多くの人が自覚できます。人は何も変わっていないと何も感じません。しかし何か変わっていると自覚することができたら、次は行動に移すことができます。
自覚することで行動につながるのです。小さな変化がどれだけ大切なことなのか理解する必要があります。 |