634.敬う
 秋は各方面で功績のあった方々への表彰の季節です。国や地方自治体、各種団体からの表彰など様々ですが、表彰する側には表彰を受ける方への尊敬の念が必要です。単に文言の書かれた「紙」を渡すのでは、敬意を示しているとはいえません。表彰式に参加されている方々の長年の功績を知り、その後苦労に対して敬意を表すのが表彰式です。その主催者の精神は随所に現れるものです。
 言葉では良いことを言われても内心は分かりませんが、文字で表現すると内心は分かるものです。

 過去に和歌山市から表彰を受けた方から、その時の表彰式で次のような出来事があったと伺いました。この方、Yさんは社会福祉関係の表彰を受けることに決まっていたので、市役所の控え室で待機していたそうです。そこで何気なくホワイトボードの本日の日程を見て怒りがこみ上げてきたそうです。そこには次のように記載されていました。

 「本日の日程。表彰式、市長室に○時に集合。Y(と呼び捨て)」。
 ひとつ。市役所の態度は、自分が市長室に遅れないことを優先し、受賞者のことはその次のだと思っていることが分かります。
 もうひとつ。敬称を記載していないことから受賞者を祝福する気持ちも尊敬する気持ちもないことが分かります。つまり単に仕事のひとつとして表彰式を捉えていたのです。市役所の担当部門にとっては毎年繰り返して訪れる恒例行事ですが、Yさんにとっては生涯でただ一度のことかも知れないのです。

 市長と書かないで大橋と書いていたら立場は同じですが、一方は敬称の意味の肩書きで氏名を記載、受賞者は呼び捨て表記。内心が表に表れていました。
 Yさんは、受賞式に出席しないで帰ろうかと思ったのですが、推薦してくれた人の顔もあることから式典には出席しました。しかし自宅に帰って直ぐに、市長からの表彰状を破ってゴミ箱に捨てました。尊敬も敬意もこもっていない表彰状には何の価値もないからです。

 単に文字を印刷した紙ですが、心があるからこそ紙が表彰状になるのです。味気ない表彰状は飾る気がしなくても、子どもからもらった手紙を大切に飾りたい気持ちになるのは気持ちが伝わってくるからです。気持ちの入っていないものであれば、形式や印章の有無、紙の質などは何の意味もありません。白い紙に書かれた気持ちの入った手紙の方が受け取り側にとっては大きな価値があるのです。

 和歌山市からの表彰状のこの案件。市役所はこの気持ちを知りませんが、相手の立場になった仕事が如何に大切であるかを教えてくれる事例です。
 参考までに、その後について。Yさんの福祉に賭ける気持ちとその活動は、表彰状がなくても全く変わっていません。自宅の壁にはその活動の素晴らしさを証明する公的なものは何も飾られていませんが、そこに集まっている方達は、Yさんが誰よりも素晴らしい活動をずっと継続していることを知ってくれています。その信頼の表情が、一番素敵な内心が現れている表彰になっているのです。

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