631.文章を読む
 文章を読むとその人の能力が良く分かるというものです。他人の心や他人が考えていることを知ることは難しいものです。そんな時、文章を書いてもらうと何を考えているのか推測することが可能となります。

 特にトップの人が次席の立場の人に、式典や会議の挨拶文を書くように指示することがあります。一定規模以上の組織のトップであれば、式典の挨拶なら原稿なしでも話すことは可能です。それでも挨拶文を支持するその精神は次のようなことです。
 挨拶文の内容から、課題を適切に把握しているのか、間違った考え方をしていないかなどを把握することができるのです。トップが挨拶原稿を読んで、書いた次席の組織課題に関する認識が的外れなものであれば、そこで修正することができます。考え方に偏りがあれば、それも修正することができます。

 文章を読むと、文章を書いた人の考え方や勉強の量が分かるものです。特に他人の文章を読むと自分の文章を読むよりも書いている内容が良く分かるものです。同じテーマを複数の人に書いてもらうと考え方や問題意識の差が良く分かります。同じテーマであっても書く人が違うと全く同じ文章というものはあり得ませんから、考えていることが良く分かります。

 尤も、最近ではインターネットに掲載されている他人の文章のコピー・アンド・ペーストが流行っていますから、全てが正確なものだとは言いにくい面もあります。しかしこれを見抜く方法はあります。複数のテーマの文章を書いてもらうと自分が書いたものか、そうでないのかが分かります。文章には癖がありますから、言葉づかいや用語の使い方で本人のものかどうかは見分けがつきます。
 大人が小学生の文章を読むと、他人の文章からの引用が多いのか自分の考えに基づいたものなのか直ぐに分かるものです。小学生が背伸びをして文章を書いても、大人の視点で見ると分かってしまうものです。これは大人の方が多くの文章を読んだ経験があり、現在の社会情勢に詳しいからです。

 同様に経験を積んだトップの人が、トップよりも経験の少ない次席の文章を読むと、その考え方が分かるものですし、どの部分が引用されているものか分かるものです。書いた本人が分からないと思っていても、実は見抜かれている場合が多いのです。

 しかしそれは批判するためのものではなくて、弱点を指導したり考え方に幅を持たせるため、或いは後継者として育成するために挨拶文などの作成を指示しているのです。自分が書いた文章を自分で読んでも弱点は見つかりませんから、経験者に見てもらうことが上達の早道です。ただ面白いことに、数年前に自分が書いた文章を現在の自分が読んで見ると、その稚拙な文章に恥ずかしくなることがあります。当時は全力で書き上げた文章であっても、その当時の実力はその程度のものだったことに自分で気付きます。つまり数年前から文章力も考える力も成長していることを意味していますし、そのことを自分で確認できるのです。

 このことから、現在の自分の考え方が間違いないのだと思うことは誤りだと言えます。人は誰でも生きている限り発展途上です。明日の自分は今日の自分よりも確実に成長しています。経験者から見ると現在の自分のレベルは自分では気付かなくてもその程度なのです。ですから常に謙虚であり続けなければなりません。謙虚な人はこれからも成長し続けるものですし、地位や立場を得て謙虚さを失ったとしたら成長はそこで止まります。

 ですから時には、過去の自分と比較して成長していることを確認するために過去の文章を読み返したいものですし、経験者から指導を受けるためにも、挨拶文などの指示があれば進んで引き受けたいものです。
 文章は心を形にして表現してくれますし、自分の考え方を認識し謙虚になることで成長させてくれる手段にもなります。文章を大切にしたいものです。

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