津軽三味線の奏者
木乃下真市さん。今では津軽三味線の第一人者ですが、津軽出身ではなくて和歌山市出身なのです。木之下さんから学ぶことがあります。
ひとつは津軽三味線全国大会へ挑戦した時のことです。20歳の時に挑戦した津軽三味線全国大会で準優勝しました。木之下さんはそれに満足するのではなく、次は絶対に優勝すると心に誓ったのです。それまでも相当の稽古をしてきたのですが、優勝を目指すと誓ってからは、従前よりも時間も中身も濃い稽古を一年間継続しました。
翌年、21歳の木之下さんは、自分に課した優勝という目標を達成しました。津軽出身ではない人が、小さい頃から津軽三味線に親しんできた人に勝つことは容易ではありません。この優勝により全国トップレベルに駆け上がりましたが、更に厳しい課題を自分に課したのです。
それは津軽三味線全国大会で「来年も優勝すること」。一度の優勝はまぐれかも知れないので、本当の実力を確かめるためにも二連覇を目標としたのです。全国大会での優勝を誰もまぐれとは思いませんが、自分が納得するための挑戦は本当に凄い精神力です。
二連覇すればその地位は確固たるものになりますが、もし敗退すれば、前年の優勝が霞んでしまいます。どの競技でも連覇が難しいことは周知の事実ですが、そこに挑戦したのです。
そして22歳で迎えた津軽三味線全国大会。決勝の演奏曲は「津軽じょんがら節」この曲は津軽三味線の古典的であり津軽三味線の奏者なら誰でも弾けるもので、他者との違いは勿論、歴代の名人奏者との違いも明確になります。自信以上の確信を持たなければ危険な挑戦です。
結果、22歳の木之下真市さんは津軽三味線全国大会二連覇を果たしました。本場、津軽生まれではない和歌山生まれの木之下さんが連覇出来たのは、津軽三味線の伝統に新しい考え方を加えたからだと思います。それが出来たのは津軽三味線とは遠い位置にある和歌山市生まれの若者だったことも要因かも知れません。伝統に新しい伝統を加えるのは、伝統の力を身につけた伝統とは縁の遠い地域の若者だったのです。
生い立ちをあれこれ言うのではなく、置かれた立場で最大の努力を継続することが環境を凌駕します。
そして連続して勝つことの大切さ。一度の勝利や目的の達成で安堵するのではなく、二度続けて勝つことを目指す姿勢を学ぶべきです。今いる位置から次の位置に進もうと思ったら、勝った経験を持って移動することを心掛けるべきなのです。今の位置で満足な結果を残せないとすれば、次の位置に行ったとしても似たような結果しか残せません。今の位置で連続して結果を残すこと。そうして初めて、次の位置で勝負出来る立場に立てるのです。
置かれた状況で連続して結果を残すこと。これが大きな舞台で勝負するために絶対必要な要素です。継続した努力と連続して結果を残すこと。これが教訓です。