懐かしい名前が表紙に記載された冊子を書店で見かけました。炎のチャンピオンと呼ばれた元世界ジュニアミドル級チャンピオン(現スーパーウェルター級)輪島功一さんの名前です。25歳の遅さでプロデビューし28歳で世界チャンピオンになった異色の経歴を持ったボクサーでした。
輪島功一さんの試合で最も印象的なのは昭和51年2月17日のタイトルマッチで、チャンピオン柳済斗選手との再戦です。前年の昭和50年6月7日にチャンピオン輪島功一さんが挑戦者の柳選手に敗れたため、今度は立場を変えてリターンマッチとなっての試合でした。
日本人に負けたことがないチャンピオン柳選手に対して、32歳と全盛期を過ぎた輪島選手が勝てる訳がないと言うのが圧倒的な見方でした。炎の男の最後の試合になるかも知れないため、テレビの前でハラハラしながら応援していたのを今でもはっきりと覚えています。若いチャンピオンに力を出させないインサイドワークの上手さで、試合は徐々に輪島選手のペースになって行きます。しかし強打者の柳選手ですから逆転の不安感がつきまといながらラウンドは進みました。
そして最終回の15ラウンド、KOで輪島選手が勝利したのです。奇跡が起きた瞬間を目撃することが出来たのです。試合後「これが本当の大和魂。勝っても負けても最後まで戦うのが大和魂なんだ」と輪島選手はリングで叫んだのですが、素晴らしさに心が震えたのを今も覚えています。
大和魂なんて言葉は当時でも使う人はいなくなっていました。気力、根性、勇気などの言葉は当時でも聞くことが少ない単語だったのですが、それは全力で生きることが恥ずかしいような時代の空気があったからです。それに加えて大和魂と言う言葉は、実績を残していない人が使える言葉ではないからです。
二度目の世界チャンピオン返り咲きを果たした輪島選手だからこそ発言出来た言葉だったのです。掛け値なしに格好良い姿と言葉でした。
輪島功一選手は通算6回世界タイトルを防衛し、無くしたものは取り戻せないと言われている世界タイトルを二度も奪還しています。通算成績は38戦31勝6敗1引き分けですが、数字以上に当時の日本を熱狂させ勇気を与えてくれた選手でした。世間に選ばれし人でなくても勇気を持てば何でも出来ると教えてくれました。自分の生き方は世間が決めるものではなく自分で決めるもの。簡単なようですが大変難しいことが、今の私の年齢になると良く分かります。根性、勇気と言う言葉を簡単に発言出来ないことからそれを感じます。これらの言葉は一つのことに全身全霊で打ち込むことをしている人だけが使用を許された言葉です。
「練習で必要なものは根性、試合で必要なものは勇気」元世界ジュニアミドル級チャンピオン輪島功一さんの現役時代の言葉です。根性、勇気、そして大和魂、誰から言われても恥ずかしくない自分になり、いつか使ってみたい言葉達です。
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