295.自分道
 ある方が先週、大阪市内に出張した時の出来事です。駅構内に5人の大学生が地べたに座って話をしていました。企業訪問の話題でしたから大学3年生の集団だったようですが、そこで就職を希望する企業へ提出するエントリーシートに関して、次のような会話を聞いて、そこまで落ちているのかと愕然としたと言います。

 大学生A「企業に提出するエントリーシートはどうやって書くの。面倒くさいわ」
 大学生B「そんなの簡単。インターネットを検索すればエントリーシートの書き方があるので、それをコピーするだけで完了。簡単」
 大学生C「色々書き方が記載されているので直ぐに出来るよ」

 以上のような会話内容を聞いて心が寒くなるものを感じました。確かにインターネットを活用するとエントリーシート位は簡単に作成できると思いますが、それは果たして自分を表現出来るものなのでしょうか。例え文章が稚拙だとしても自分で考え、自分で文書表現することで自分を見つめ直すことが可能となります。他人がインターネットに掲載している模範的な履歴をコピーしても、見栄えは良いかも知れませんが全く実態を伴わないものです。

 以前、卒業論文や論文の課題を与えられても、考えることや文献を調べることなく、インターネットを活用して論文を簡単に作成している事例があると聞いたことがあります。インターネットの情報は限りなくありますから、例え大学の先生だとしても他人の論文や文書を引用しているか否か、調査するのは難しいと思われます。
 大学内だけの研究ではなく、就職活動にも他人の知恵を拝借する姿勢、つまり借り物の人生を過ごしている人がいることに危機感を感じます。インターネットで公開している文章に著作権が認められるのか否か、判例を調査していないので分かりませんが、仮に違法性が乏しいとしても、他人の著作物を自分の論文の補強のため引用するのではなく転用しているようでは自己を確立することは適いません。

 何でも簡単に入手出来る時代ですから自分の考えを補完するために情報媒体を上手く活用するのは良いのですが、核心となる部分を自分の考えであるかのように転用するのはいただけません。
 大学の先生をごまかせたとしても、就職試験を突破出来たとしても、その場しのぎに過ぎませんから、長い時間の中から見ると自らの成長を止めているだけの時期を過ごすことになります。
 他人の人生を生きている訳ではありませんから、時間がかかっても面倒臭くても主体性のある生き方を探したいものです。借り物ではない自分道を歩きたいものです。

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