287.同一化と多様化
 社会は同一化の方向に向かっていますが、人を同一化させているものは情報です。情報とは既に過去のもので結果が出ている確実なものを示していますから、同じもの、変わらないもの、動かないものを情報と呼ぶことが出来ます。
 情報の宝庫はニュースですが、ニュースとは過去のある時点の状態を報道しているものです。未だ到達していない未来の映像をマスコミが流せるものではありませんから、ニュースは済んだことであり過去の一部分に過ぎないのです。

 一般的に情報通とは時代を先取りしていて未来を読める人のように思われていますが、実は全く違います。情報とは過去のもので確実なものですから、情報を見ている人は後ろ向きに歩いているようなものです。後ろを見て歩くと前を見通すことが出来ません。情報を頼りにして自分で考えないで仕事をしている人は、未来を見ることは出来ないのです。
 情報化社会において私達は後ろを見ながら歩く習性が身についています。車の運転で後退しながら少しだけ前を確認しているような感じですから、情報分析だけでは未来を確実に予想することは難しいのです。情報や情報で得られた数値に、自分の勘と判断を加えたものが未来を予測することにつながります。ただ未来は真っ暗ですから、見通しが悪く自分の判断が成功につながるとは限らないのが厄介です。
 情報とは見方を他人と同じように同一化させてくれるため便利なものですが、それだけでは生き甲斐になりません。それは情報とは人の意識で扱えるものですが人にとっては一部に過ぎないからで、本当は感覚が先にあり情報が後についていく形になるべきです。

 それに対して人間は変わるものですから人間自体は情報ではありません。昨日の私を見ることは出来ませんし、10年前の今日の私は全く別物です。記憶の連続性があるから人は変わらないと思い勝ちですが、人は経験を積んで脳は変わっていますから実は記憶も変わっています。情報に頼らない人の生き方として感覚を大切にすべきですが、その感覚には二種類あり、花鳥風月を感じるような外の感覚、自分の体を感じる内の感覚があります。
 感覚を大切にすることで、私達は社会の多様化の中で役割を担うことが出来ます。
 社会では多様性が必要なのは、同質のものがどれだけ集まっても社会を支えられないからです。多様性のある集まりや考え方はピラミッドですから底辺が広く、頂点にある人や結論を支えることが出来ます。
 対して同一化の考え方では、鉄のパイプで人や結論を支えているようなもので、直ぐに倒されてしまう程度のものです。情報のネットワークでつながることは力にもなりますが、人が同一化してしまうと支えられなくなります。
 社会において規則を強化すると、人は従うだけで考えなくなるため世の中は良くなりません。それに対して規則を緩めると自分の論理で行動することになり考える力がつきます。
 どこに重点を置くかによって人の考えや行動も変わるのです。

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