285.与えられた期限
 地域活性化と音楽を愛して意欲的に活動しているFプロジェクトメンバーの母親が亡くなりました。仏壇に飾られている亡くなった母親の写真の顔が若くて、普段とは印象が違ったので「お若いですね」と話しかけました。
 その写真は61歳の時の写真であると話してくれました。この世を去った年齢は73歳ですから今から12年前の写真ですが、それには理由があるのです。この母親が61歳の時、体の調子が悪くて病院に行くと癌だと宣告されたそうです。死ぬ時期が近いことを感じた母親は、その時に備えてきれいな姿の写真を撮影しておいたのです。

 覚悟を決めた時の表情が表現された写真の姿はとてもきれいなものでした。それから12年間、毎日癌と戦ってきたのです。恐怖と不安との戦いの日々のつらさは本人でないと想像出来るものではありませんが、とても強い精神力の持ち主だったのでしょう。癌と戦うには覚悟を決め、生きるという強い精神力が必要です。
 12年間の長期に亘っての戦いにおいて弱音を吐いたことがないと言います。最後の時が決まっていても家事や農作業を普段通りに行う生活だったようです。

 本人もそうですが家族も、思い切り生きた姿と接しているので悔いはないと言い切りますから素晴らしい人生だったことが伺えます。癌を宣告されても普段と変わりなく家族と接する、そして前向きに生きるのは簡単なことではありませんが、それを成し遂げた本人、見守った家族の絆の深さが思われます。

 実はこの方の母親が亡くなったのは夜ですが、その当日の午後1時30分から約1時間、私達はこれから活動について懇談していたのです。母親が危篤で病院に運ばれたので、病院から打ち合わせのために戻ってきてくれたのです。そんな時に打ち合わせをしなくても良いのでまた後日にしましょうと話したのですが「大丈夫ですから」と答えてくれました。  
 その理由は、母親とはしっかりと向き合ってきたし出来る全てのことは行って来たので大丈夫。そして当日、意識がなくなった母親と約束してきたと言うのです。それは「約束している打ち合わせに出掛けるけれど、夕方には戻ってくるのでそれ迄は頑張って欲しい」という約束です。

 その時もいつものように打ち合わせを行った後、彼女は家に帰り支度をしてから病院に向かいました。病院に到着して母親と顔を合わせた後、5分後に息を引き取りました。それは意識のない母親が娘との約束を果たすまで待ってくれていたのです。意識のなくなった母親ですが心では分かってくれていたのです。
 実はその日の打ち合わせは、彼女が音楽活動とセラピー活動をするために建設した施設を活かして、今後の活動をどう展開していくかについて話し合ったものでした。彼女の母親は娘の計画の最大の支援者であり、活動のための施設建設を応援してくれていたのです。彼女は平成18年夏前には母親の死期が近いことを悟り、同年8月に活動の舞台となる施設のアマレットの建設に着手しました。十分な計画ではなかったけれども、母親に完成した建物を見せたいから見切り発車させたのです。平成17年12月に建物は完成、現在もアマレットを拠点に活動を行っていますが、平成18年3月からは更に活動の領域を拡大したいとしています。

 彼女の母親は、限りある自分の人生だから後悔のしないように、自分の思う通りに自由に活動することを自らの行き方を通じて教えてくれていたようです。やがて誰にでも訪れる最後の瞬間まで、自分が主体となって生き抜きたいものです。他人のための人生ではなく自分のための人生ですから、自分で考えて行動する責任があります。責任を放棄した人生は不平と不満の残るものになれます。

 ビジネスやお金儲けは失敗しても再度挑戦権は与えられますが、生き方を間違えても挑戦権は与えられません。誰もが二度の生命を与えられることはありません。
 確実に期限があるますが、私達に与えられた最大の贈り物は生命です。期限が到来するまで全力で生きることが、生命の贈り主に対する責務でもあります。平成18年2月現在、77歳の東久次さんは和菓子職人です。いま尚現役で工房に立て和菓子を創作していて、その作品とも言える和菓子は小さな店頭に並べられています。
 若い頃から全国的な大会で表彰を受けているなど輝かしい経歴があります。やがて長男を後継者として指名、自然に長男も父親の姿を誇りに思い工房に立ち、父親は技術を伝承してきました。通常であれば、そろそろ父親が現役を引退し後継者が後を継ぐ年齢に達しています。今まで流した汗が染み付いた工房に立つと、親子で和菓子を創作している姿が浮かんでくるようです。

 全ての技術を伝えた後はお孫さんとの楽しい生活が待っている筈でした。ところが6年前、元気だった長男が水疱瘡にかかり死亡しました。夢にも思える突然の出来事です。
「子どもみたいな病気にかかってしまって。それで死ぬなんて」と言葉を搾り出してくれました。お店の後継者が取り上げられて「本音は寂しいよね」と呟きが聞こえました。
 若い頃とは違って毎日、工房に立つことが出来なくなり、店頭にお菓子が並ばないこともあります。元気な顔をしていますが、喉、リンパ、腸閉塞の手術を計5回繰り返し決して体調は万全ではありません。でも名人とも言える東さんが作った和菓子はおいしいと評判です。

 工房を見学させていただきました。年季が入った機材と道具に囲まれていて、ここで何十年もの間、数え切れないほどの和菓子を皆さんに提供してきた様子が浮かんできます。
 美味しさを提供するのは食べる人に幸せを提供することです。他人に満足を与えてきた人生は尊敬に値するものです。
 昭和24年から使用している道具箱からは、自分で作成した和菓子の表面に模様を刻む型枠を取り出してくれました。寿の字や家紋などの型枠からは和菓子作りの歴史を感じさせられ、積み重ねてきた伝統、技術の凄さを感じるものでした。

 和菓子作りに賭けた人生です。命を込めた、人生の思いの詰まった手作りの和菓子ですから、それに見合った対価をお支払いしないと、申し訳なくて食する訳にはいきません。
 機械による大量生産されたものと、長年和菓子作りに取り組み気築き上げた技術と、一つひとつに心を込めたものとでは、食べる人に分け与えてくれるものは違ってくると思いたいのです。心が宿った作品は向かい合う相手に与えるものがあります。私達は作者が発するメッセージを受け取ることが出来ます。優れた作品は心がそれを感じる瞬間を与えてくれます。

 残念なことは技術の継承者がいないことです。このままでは一代限りの技術となり、途絶えてしまう可能性があるのは残念なことです。
「今から後継者は育てられないからねぇ」自分の経験と知識、そして技術を伝えられる後継者がいることが最大の幸福であることを理解出来るものです。

 後継者を捜し自分の習得したものを継承するのは時間と困難を伴うものです。でもその苦労は幸せにつながる苦労なのです。自分だけで終わらせてしまう、そんなもったいないことはありませんし、残念なことはありません。いつか年を重ねたら、地位や名誉(得たいとも思いませんし、望んでも得られるものではありませんが)に固執しないで後継者に道を譲る判断をしたいものです。それが幸せだと気づいた人なら、自分一代だけの幸せよりも次につながる幸せを選択する筈です。
 自分と社会の幸せの総和を大きくするのはそういうことです。

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