274.出来事は創る
 2005年末、NHK和歌山放送局での公開放送で、和歌山市の一年を振り返ったところ、来場者の感想としては和歌山市では良いニュースがなかったとの意見がありました。
 私達が、この一年間が良かったのか悪かったのかを判断する材料は新聞やテレビからのニュースに頼っている部分が多いのではないでしょうか。列車事故や誘拐殺人などは全て報道から提供されている情報であり、和歌山市に暮らす方は実際にその現場に行って見ている訳ではないのです。それでも良くないニュースは私達の生活に暗い影を落とします。逆にトリノオリンピックに向けた冬の熱い戦いの報道は私達に元気を与えてくれます。
 でも自分にとっての良い出来事は、他人から与えられるものではなくて自分で創り出すものです。報道に左右されるばかりではなく、自分の周囲に良い事件を発生させることが一年間を充実させるものになります。
 自分の住むまちだけでも良いことが起こせるように気持ちを持っておきたいものです。

 2006年、新しい手帳に今年のスケジュールを書き込みました。新しいスケジュールといっても2005年の手帳に書き込んでいた予定を書き写すだけですが、それだけで気分が一新出来るのが不思議です。
 同じ素材を新しい器に入れるだけで違った感触を得ることが出来ます。1月4日以降、社会が通常通りの動きを始めると新年のつどいなとが開催される予定です。昨年と同じ式典であっても、参加者の一部は入れ替わりますしそれぞれの挨拶も昨年と同じものにはなりません。私達の営みは、同じことの繰り返しのようで同じことを再現している訳ではないのです。
 そう思うと同じことを繰り返すことは不可能で、絶えず人は変わっていることが分かります。この時代に生きる人は全て同じ時間帯を過ごしていますから、与えられた条件と時間は全く同じものです。

 では差をつけるものは何か、自分から良い出来事を起こすための企画立案すること、企画を実現させるために書き込む手帳が存在していることです。
 与えられるだけのものに囲まれていると、どれだけその時に満足しても自分の中には何も蓄積されないばかりか、時と共に感動は薄れ去ります。思い出の音楽や映画があるのは、その音楽や映画が名作であるかどうかは余り関係なく、その時代の自分の思いや行為に何か思い出に残るものがあったからではないでしょうか。
 自分が生きた証となる思いや行為とシンクロした音楽や映画があれば、年齢を重ねた後もその音楽を聴くと当時を思い出させてくれるのです。

 思い出に残る出来事は決して他人が与えてくれたものではありません。自分が主役でなくても主体となって関わった出来事があれば、それが他人か評価してくれないものであっても、誇るべき鮮やかな思い出として心に残ります。自分で納得するものを数多く残せたら、社会に責任を求めることはなくなります。

コラム トップページに戻る

前のコラムへ   /  次のコラムへ