192.セラピードッグ
 早朝からセラピードッグに関する地元テレビの取材があり、日頃活動しているメンバーが揃いました。福祉施設へのセラピードッグによる慰問活動に行ため家を出発するところから取材は始まりました。代表者宅では17頭のセラピードッグが誕生し育てられています。
 雨模様の中、福祉施設に到着すると施設長の他、入居者の皆さんが玄関で迎えてくれました。施設長に聞くと慰問活動は多いのですが、セラピードッグによる慰問は初めてのことです。高齢者の方々はワンちゃんの来所に大喜びで、抱え上げて撫でてみたり頬釣りしたりしています。
 周辺の環境は静かで快適なのですが、欲を言えば賑わいが欲しいと話してくれましたように、本日の賑わいを心から受け入れてくれたようです。セラピードッグは躾がされているため手を出しても噛み付いたりしませんし、近づいても飛び掛ったりしません。高齢者でも安心して抱えることが可能です。
 人に個性があるように犬にも違いがあるようで、高齢者の皆さん方は相性の良い犬を抱えて可愛がります。昼までの間でしたが、お互いの交流による笑顔を見ると少しでも癒されたのではないかと感じています。

 この会でセラピードッグを育成しようと思ったのは、命の大切さを子ども達に伝えるためです。核家族により人の死を見つめる機会がなくなったこと、バーチャル体験などにより死を死と感じなくなったことから、生命と死について生活の中で感じられないのです。人間と触れ合うことが比較的可能で、人間よりも生命が短い犬と触れ合うことで生命の誕生と死について感じることが出来るからです。セラピードッグの中には犬の親と子どもがいて、生命のつながりを感じられます。

 人と犬が触れ合う中で感じる温かみや可愛いしぐさは、機械にはない生命を感じさせてくれます。パターンのあるプログラムではなく、接する人の表情や気持ちに応じて違って反応を示してくれます。パソコンやゲームでは指令を行なうと、現時点の技術では決まった反応を示してくれるに過ぎません。正確性と効率性からすると当然の帰結ですが、意外性や感情による変化はありません。
 感情を害していると犬には伝わります。喜びをもって接すると犬はそれを分かります。このように人間の感情に感応してくれる存在が癒しとなり、効率化を競っている社会では必要なものです。今日の高齢者の方々の反応を見ると、改めてそのことを感じます。

 本来、高齢者はそれぞれに人生を生きてきた経験を持っています。それはお金では図れない貴重なものですから、社会に還元する機会を持たせることで後の世代の発展があります。地域社会でも高齢者を大切にして、生涯学習や土曜授業の講師などで活躍する場があれることが望ましのですが、残念ながらそのしくみは築かれていません。
 高齢者は施設に隔離され、経験や知識を伝えることなく持ったままとなっています。経験や知識は社会で活用することでより活きます。個人が持つ経験や知識などの暗黙知を集めて分類化することでパターン化し、活用しようとする取り組みが成されていると聞きます。しかし暗黙知を普遍化することは難しいのではないでしょうか。自分が積み重ねた大切な核心部分は簡単に伝えられないし、全ての経験と知識は性格や環境により一人ひとり違ったものですから、同じものを継承することは出来ません。
 データベースではなく心のある人間として、経験と知識を伝えるしくみを大きな社会というフィールドで実現したいものです。和歌山市でそれが出来たら、高齢者の経験を活かせるまちとして大きな売り物になります。
 セラピードッグで交流を深めることが後の時代から見ると第一歩になっていれば、それは嬉しいことです。

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