和歌山市内を拠点とした
佐野安佳里さんのラストライブが平成17年5月27日、和歌の浦アートキューブで行なわれました。ライブのテーマはSelenograph(ラテン語:月のことわり)で、佐野さんのイメージが月にあることから名づけられたものです。
和歌山市での活動は4年と半年、力強い歌声とピアノから弾き出される音は聴く人を魅了し続けてきました。作詞作曲も自分で行なう才能を持ち合わせていて、和歌山の代表的観光地である和歌浦や熊野をイメージした歌も多数あります。1部と2部を合わせて約20曲、内18曲はオリジナル曲でじっくりと聴かせてくれました。
和歌浦のライブ空間を共有した2時間は瞬く間に過ぎ去りました。ラスト近くになると佐野さんはこみ上げるものを堪えきれない様子でした。手拍子と歓声がそれを誘ったのかも知れません。
旅立ち、を感じさせる素晴らしいライブでした。実際、和歌山市で活動してきた21歳の女性が東京に活動拠点を移す旅立ちの瞬間です。歌声からは不安感はなく希望だけを感じることが出来ました。
誰でも旅立ちの瞬間が訪れますが、その脱皮しようとする瞬間に立ち会える人は幸運です。旅立とうとする人の希望を共有することが出来るからですが、独得の雰囲気があります。旅立つ人が持つ希望とその地に留まる人達の喪失感、それらが交錯して感激と寂しさを演出してくれます。明日になれば夢のように感じる瞬間を、それぞれが心に閉じ込められるのが同じ時間を共有したことの意味です。
極論になりますが、出会いと別れの瞬間、喜びと悲しみを味わうことが人生の価値であるような気がします。それを沢山感じられる人が、節目のある充実した人生を過ごせたといえます。
その感覚を味わうためには人と出会う必要があります。人は人との出会いで変わりますし、志を持つ人の出会いが周囲に化学変化を引き起こします。一人が高いレベルに達しようとすれば周囲もそれに引っ張られます。同じような集団からは抜き出るものはありません。たった一人今までと違う高い次元の人が出現することが、その集団全体のレベルを高めてくれます。
プロサッカーでいうと、井原選手が登場する前後、中田選手が出現する前後、小野選手が現れる前と後ろではサッカー界のレベルは違っているといいます。突出した選手の出現によりレベルは高められ、その選手と接する周囲のレベルは自然と高まります。やがてその高いレベルが次の時代のスタンダードとなります。その状態が続いた後また傑出した選手が登場し、それまでの技術を過去のものに追いやります。突き抜けた傑出した選手の周囲からレベルは高まり、そのレベルがまた新しい時代のスタンダードになります。その繰り返しによりレベルは上がっていきます。
これはどの世界でも通用する法則です。その分野にいる誰かが飛びぬけることで進歩があります。落ち着くところに落ち着く、まあまあのところで満足しているのではレベルは現状維持です。誰かが突き抜けようとしていれば後押しをして、一段高いレベルに上って欲しいと願っています。それが全体を高めることにつながることを理解すべきです。足の引っ張り合いの中からは新しいものは誕生しませんから、伸び行く人の背中をそっと押すことを心掛けたいものです。
東京の音楽関係者によると佐野さんの歌の上手さは際立っているとのことです。東京の皆さん待っていて下さい。