188.和歌祭
 和歌山市和歌浦地域には伝統ある和歌祭があります。和歌祭は江戸時代の1622年に紀州東照宮の例祭として行なわれ、それから380年以上続きました。ところが地域の方から愛された和歌祭は下火になります。私の父親は和歌浦生まれで和歌浦育ちのため小学生の時に参加していました。当時、小学生も練習を重ねて本番に備えたので、地域の伝統の重さを感じたようです。練習は厳しく足の挙あげ方の細部に至るまで指導があったそうです。このような伝統ある祭りに参加した経験は忘れることがなく、地元への愛着を生涯持つことにつながります。
 母屋に立ち寄った時、和歌祭の話しをすると、おばあさんが参加していた昭和初期の当事は、東照宮から和歌山城まで行列をしていたそうです。今ではとても歩けないといって笑ってくれましたが、時代装束をまとっての行列は大変だったことは推測できます。

 和歌祭当日は、和歌浦小学校体育館に集まり衣装に着替えました。衣装は雑賀衆の武者姿で、鎧と兜を着衣すると30キロの重さとなります。足には草履と足袋を履きます。最初は重さを感じなかったのですが、行列が進むに連れて重さが忍び寄ってきます。兜が頭にめり込むようで、頭というより脳に食い込むような重さを感じます。鎧の重みは次第に肩に食い込んできます。浜辺も行列コースに入っているため暑さは感じないのですが、鎧兜の30キロを支えるのが大変です。昔の武将は武具を全身で支えながら格闘したのですから、その体力と精神力には驚かされます。疲れて考えが鈍くなってくると、歩きながら古人との交信出来そうな感覚になります。380年も続いた経緯を持つ祭りだけが成し得る伝統の力です。
 伝統があるものでも一度途絶えると、再発信させるには多くの労力を要します。継続している内は音楽や行進のリズム、踊り方や演舞などが継承されていきますが、数年でも途切れるとそれらのノウハウは
失われます。事実、和歌祭でも踊り方やリズムが分からなくなった種目があり、文献調査や聞き伝えにより再現しています。
 元の型は残っていないので、本来のものかどうかは今となっては分かりません。しかし伝統を継承し、次の時代へ持ち越そうとする精神を持って再現した技術は新たな伝統の起点となるものです。二年ぶりに開催された和歌祭で披露された伝統が来年以降も繰り返されるはずです。伝えようとする精神が本来のものと同じであれば、姿形はその時々の関係者が創造すれば良いのです。

 創業は難しいのですが、途絶えたものを復活させる事業もまた、それ以上に難しいものです。和歌浦に和歌祭を復活させて3回目となった今日5月15日、沿道には多くの方が詰め掛け声援をおくってくれました。和歌浦の方だけではなく市内各地から来てくれた雰囲気があります。祭りは動の印象がありますが和歌祭は静の祭りです。今日のように900人の参加者と声援をおってくれた方々がいる限り伝統は継承されていきます。

 さて行列に戻ります。行列が片男波から玉津島神社に向かうところは最大の見せ場で、時代装束の一行が海と山、松林の風景に溶け込んでいました。行列の中にいることで風景画のような光景を見ることが出来ました。
 行列は出発地点の東照宮へ到着、全体に爽快感が漂う空間となりました。人が時代と伝統に染まった和歌浦一帯となりました。伝統とはただ継承すれば残るものではなく、熱意ある関係者が伝統の一部を作り上げる意気込みを持つことで培われるものであることが体感出来ました。伝統は社会情勢に応じて、関係者の熱意で積み重ねていくものなのです。

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