普段使用している「観光」という言葉。その本質は何を意味しているのでしょうか。
英語ではサイトシーイング(Sightseeing)ですから、その場所へ行って見るとなり、風光明媚な場所へ行って景色を見てくることが観光と思い込んでいました。そのため観光スタイルは、観光バスに乗って名勝地に行き写真を撮ってくることが主体となっていました。
ところが日本語としての観光を分解すると「光を観る」となります。輝きに触れることが日本における観光の意味ではないでしょうか。輝きとはその地域やそこに住む人だけが持っていて、他にはない「ありのままの姿」が輝きです。ですから、格好つける必要はなく観光地を真似る必要もありません。それどころか、真似ることにより地域の特性が失われ輝きは消え失せます。
観光客に、地域が育んだ歴史と文化、産品や技術を見てもらう、そして体験していただくことが本当の意味での観光です。観光客が感動するのは、その地域だけのものに触れる体験、そこに住む人とのふれあいにあります。ふれあう事に加えて一緒に汗を流したり、収穫を楽しんだりすることは更に感動体験となります。
農家の日常体験は農家の方にとって変化も感動もないことだとしても、まちに住む人にとって非日常体験なのです。非日常体験は感動を呼ぶための要素です。地域で生きるために知恵と技術を使って生活している姿は他のどの地域にもないものです。自信を持って迎え入れることが私達の輝きを見せることです。
ただ何でも良いのではなく、漠然としたものから観光となり得る特徴的なものに絞り込むことが大切です。ありのままの姿を提供してくれる人の存在、その地域資源を観光アイテムとして売り込める調整役の存在、広報や営業出来る人の存在が不可欠です。全てが揃って初めて、本物の観光として地域資源を売り出せます。
地域にある本物の観光を観光客に提供することにより、その地域の良さ理解してくれます。地域が好印象を与えると交流機会が増えます。交流機会が増えると物流が起こり定住人口も増えます。事実、体験観光により観光客が増加しているある県の人口は増加しています。本物の観光は、交流から物流、定住へと形を変えて地域に貢献する産業となり得ます。
熊野川町には道芝と呼ばれる草があります。人間の生活において何にも活用出来ないから道端で踏みつけられているだけの存在と評価されていた草ですが、これを活用して草履を作っているグループがあります。何も使えないとされていたのですが、人間に踏まれても切れない強さを持っていることから製品化したものです。今では耐久性のある草履として市場に出ています。人間も表に立つ人がいれば、人を支える役割を担う方もいます。支える役割を果してくれる人の存在があることで、表舞台に立つ人も存在するのです。
人に役立つことが尊いのですから、例えありがとうの言葉を掛けられなくても感謝する気持ちを忘れないでおきたいものです。役に立たない人はなく、誰もが何かの役に立っています。自分の存在を表すには、自分の特長を活かした役割を果すことです。
草履を作る体験をすることで、人生における役割とは何かについても学ぶことが出来ます。体験観光とは、非日常の体験をすることに加えて、その本質は人生を掛けてひとつの事に取り組んできた人から生き様、生き方を学ぶことにあります。そこに感動は潜んでいるのです。
では地域におけるブランドとは何なのでしょうか。ブランドとは創業者の崇高な意思が受け継がれている製品や企業、組織を指します。後の人は創業者が込めた思いを受け継いだ製品を社会に送り出す、次の人もまた創業者の思いを引き継いで製品を作ることがブランドとなります。製品の形が変わっても創業者の崇高な思いが伝わっている限りブランドとして存在します。世代を超えて生き続けているブランドは、全て創業者の意思を継承しています。途中でお金儲けに走ったり意思を曲げて材質を変更すれば、ブランドは壊れてしまいます。創業者が意思を持ち後継者が跡を継ぐ、そして時間の洗礼に耐えたものだけがブランドとして定着していきます。最初は創業に関わっている人達の意思だけです。
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