コラム
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2012/3/14
998    挨拶かドスか

ある会社の話です。その職場にとても優秀でその職場における仕事に関しては何でも知っている人がいます。ところが話しにくい、近寄り難い人なのです。知識も経験もあるのですが、その知識や経験を職場に伝えられていないのです。

一方、知識も経験もありながら親しみ易い人もいます。親しみ易い性格なので、困ったことがあれば、職場の人はその人に見解を聞いています。後輩だけではなくて先輩であっても困った時には聞いているのです。

優秀であっても職場のみんなからから頼りにされていなければ、会社にとって優秀な人材とは言えません。それに対して誰からも慕われて知識や経験を惜しげもなく分け与えている人は能力のある人材だと言えるのです。能力とは一人の資質を指すのではありません。

職場或いは会社全体の実力を高めてくれる人材こそが能力のある人なのです。

現代社会では個人でできる仕事はありません。全ての仕事は分業体制であり、それを統合することで成り立っています。100の能力のある人でも個人で仕事をしている限りでは100の力に過ぎないのです。ところが50の能力のある人を職場の人が頼りにしているとします。周囲の人にアドバイスを送り続けるとしたら、職場全体の和は100以上、もしかしたら1,000やそれ以上の力になります。人材の発揮できる能力の総合計が職場の力であり会社の実力となるのです。

どれだけ優秀であっても職場の人から頼りにされない人は能力があるとは言えないのです。親しみ易いという性格は誰でもが持ち合わせている性格ではないので、それは大きな武器であり能力なのです。

ですから個人で仕事ができたとしても総量は増えませんが、職場全体が能力を発揮できる環境にあれば仕事を遂行する上での実力の総量は増えるのです。そしてそんな職場の核になれるのは親しみ易い人なのです。決して知識や経験がある人が職場のリーダーに相応しい訳ではないのです。

それに関して職場の挨拶の大切さの話にもなりました。最近は挨拶をしない、できない人が増えているようです。個人主義で全ての仕事が完成できるのであれば人間関係は必要ありませんが、そんな仕事や社会は今の時点では存在していません。

特にその日に初めて顔を合わせる朝の挨拶の大切さは言うまでもありません。挨拶の由来は様々な説がありますが、その中の一つを紹介します。挨拶を切るという言葉があります。江戸時代では挨拶を切るとは絶交を意味する言葉だったようです。挨拶は親しみや好感のある人同士が交わすものであり、挨拶をしない関係は絶縁状態にあることだったようです。隣近所で挨拶を交わさないということは絶交することを意味するとすれば、コミュニティを形成するために挨拶は欠かせないものだったのです。「挨拶かドスか」という表現を教えてもらいましたが、挨拶ができる関係は親しい関係であり、挨拶をしない関係は殺しあいに発展してもおかしくない関係だったのです。挨拶の語源は複数あるのでこれが全てではありませんが、挨拶の大切さが分かる事例です。朝は挨拶から始まります。