コラム
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2012/3/13
997    大切な教え

最近聞かなくなった言葉があります。懐かしい響きがありますが、今でも通用する教えであり、子どもの時に教えられた今の大人が子ども達に伝えたい教えです。

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ばちが当たる。何か分かるでしょうか。和歌山県の方言なのか何なのか分かりませんが、子どもの時によく言われたものです。悪いことをするとこう言われました。ばちとは罰のことのようですから、悪いことをすると罰が与えられるという意味のようです。

最近はやって悪いこととそうでないことの線引きが分からなくなっていることから、ばちが当たる例え事例に出会わないかも知れません。大きな悪事には天罰が下りますし、小さな悪事は誰も気にしないようになってきました。騙す人が悪いと考えるのが日本人ですが、最近は騙される方が悪いという日本では間違ったと思われる考えの人が増えているからです。小さな悪事でもばちが当たることを教えなければならないと思います。

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お天道様が見ている。この言葉も使わなくなりました。悪事を働くと誰も見ていないように思っても天上にいる神様が見ているということです。神様とは自分の心ですから、自分の心に疚しいことをしてはいけないのです。良心が働く人でなければ社会で仕事はできません。自分ひとりの時はお天道様が見ていると思って、そして多くの人が見ていると思うことです。多くの人が見ても恥ずかしくない行いであれば実行すれば良いのですが、それが悪い行為だと思う心があれば決して自分の心に黒い色を染めてはいけないのです。

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蔵に入れる。小さい頃、悪いことをすると「蔵に入れるぞ」といわれた経験のある人がいると思います。蔵とは暗くて怖いものだと思ったものです。最近は蔵のある家は少なくなり、自分ひとりが閉じ込められるような空間はなくなりました。暗い場所に一人で閉じ込められると思うだけで悪さはできませんでした。自由な社会においても抑えるものがあることは必要なことです。誰からも何からも押さえが利かない人は収拾がつきません。

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もったいない。この言葉は今では世界に広まりましたが、肝心の日本人は余り使わなくなっています。もったいないと思う気持ちがものや食べ物などを大切にすることにつながります。

一番覚えがあるのは、お茶碗にご飯粒を残すと、目がつぶれると言われたことです。その心は、お米はお百姓さんが一所懸命に作ってくれたものだから、粗末にしてはいけないという意味なのです。一粒も残さないで食べることが食べ物を大切にすることと、汗水垂らして食べ物を作ってくれているお百姓さんへの感謝の気持ちを表しているのです。

今でも出された食べ物は残さないで全て食べ切ることが習慣となっています。人として大切な習慣を身に付けさせてくれた両親に感謝しています。

そして茶粥のことを和歌山県の方言で「おかいさん」と言いますが、この「おかいさん」はお米が不足していた時代背景に関係しているのです。お米に水分を含ませた「おかいさん」だと少ないお米でお腹が膨らむのです。「おかいさん」は食料が不足した時代の生活の知恵であり、お米を大切にする気持ちの表れたものなのです。

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ばちが当たる。お天道様が見ている。蔵に入れる。もったいない。大切な教えです。