コラム
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2012/2/9
974    小さな挑戦

人生は先発完投ですから、ペース配分をして長く生きることになります。限られているけれども長い時間をどう生きるかが人生の問題として横たわっています。正解はないのでどう生きるかを迷うのです。誰かの後について行く人生はありませんし、公式どおりの人生もありません。ですから極力安全に、そして現役を終えた後のことも考えた生き方を選択しがちです。人生は幸せを築くことも目的の一つですから、それは間違いではないのです。

ところがそれだけでは物足りないと感じる時があります。何かを成し遂げた達成感、確かに生きた証を残せたと思える充実感などが必要なのです。しかしそれらの飛び抜けるような感覚は日常生活の中からは生まれません。日常にはない出来事から感じられるものだからです。

例えば目指していた超難関資格に合格した時、仕事の成果が評価され社長表彰を受けた時、超満員の会場でスピーチをした時など、長い時間を要して達成した瞬間や非日常体験の中に感動が潜んでいるのです。人生の中の一瞬の輝きが感動体験ともいえ、それが充実した人生と自分で思えるものになるのです。長い人生の時間をかけて日常生活の中から安全に築いていくものが幸せで、人生の中の一瞬の輝きが生きた証になるのです。

人が輝けるのは人生の中の瞬間で、決して長期に及んで輝けるものではありません。長く輝こうとすると人生の目的が分からなくなり、短く輝こうとすると危険を伴うので挑戦できなくなります。決断できないまま人生という旅は過ぎていきます。

多くの場合、安全な勝負をして先発完投の生き方となります。それは否定することではありません。

しかしアマチュアで先発完投ができてもプロではそうはいきません。ですから先発完投ができない恐れを感じるプロでの勝負は避け、安定している今の場所にいようとしていることも事実です。 毎年その1年を無難に完投できるペースが分かっているからです。

自分でレベルを上げる挑戦を決意することは恐怖を伴うものであり、自分が通用しないのではないだろうかという不安、負けた場合のことを考える恐怖から、中々上のレベルへの挑戦を決意できないのです。

日本の球界からメジャーリーグへ挑戦する選手は、どの選手であっても応援したくなるのは、高いレベルに挑戦しようとする決意を眩しく感じるからです。自分が今の場所からより高いレベルに挑戦することは中々出来ないことです。自分が危険だからと思ってできないことと同じ感覚のことに挑戦しようとしている選手だから応援したくなるのです。

実は私達の周囲にも挑戦できる場所はたくさんあります。それをしないのは現状の居心地が良いから、安全な道を見つけたらそこにいる方が楽だからです。そして居心地が良いこと、安全な道は幸せなことです。

ただ一瞬の輝きも欲しいと思うのが人生です。多くの人が死ぬ時に後悔することは、「もっと挑戦しておけば良かった」と思うと読んだことがあります。挑戦しなかった人生は後悔を残すことになります。

わたしが、あなたが、行動できる環境にあるとすれば、今よりも少し高いところを目指した小さな挑戦をしたいものです。後悔しないためにも。