コラム
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2012/1/23
964    歳々年々人不同

元特攻隊員から祭文をいただきました。特攻隊として日本国のために若い命を捧げた元同僚に対する思いを認めた文です。新春に当たり、日本人として今の平和と私達の行動を考える契機になりました。尊敬すべきこの元特攻隊員の方は、昭和5年6月1日、第一期予科練習生として入隊しています。この文章を一部引用いたします。

「かえらじと捧げし命生きのびて、故郷の土を踏んだ私どもは、声なき声に励まされ、平和を維持しつつ、ひたすら復興に尽くし、わが国は世界屈指の経済大国になりました。
年々歳々花相似、歳々年々人不同、祖国日本は常に試練の嵐に立ち向かいつつも、現在の平和と豊かさは、ひとえに英霊のご加護と物故諸霊の愛国の至情天に通じ具現されたものであります。反面デモクラシーを呼号しながらの公私転倒、即ち、利益追求が国益に先行し、それによる国民の精神的衰退はとどまる処をしらず、ひたすら経済伸展に集中した結末は、今日の民族頽廃の姿となり、この異常な現実を見聞きするとき、私どもは「こんな国にするために俺達は死んだんじゃないぞ貴様らしっかりしろ」との声なき叱責を感じ、その憂国の心をおしはかり誠に申し訳なく合わす顔がないという気持ちから逃れることはできません。
然しながら高度消費社会となった今、経済一辺倒の物質主義傾倒に歯止めをかけ、先人たちが築きあげ継承して未だ、倉りん実ちて即ち礼節を知り、衣食足りて即ち栄辱を知る美風を順守し、さらに歴史の道筋を今一度振り返り、物心両面強固な国家体制を確立し、自ら国を護る重く、しかも苦しい義務を自覚実行することこそが、悠久の大義に殉じられた英霊に応え得るものと確信いたします。」

魂の叫びが聞こえてきます。散る桜、残る桜も散る桜という一節もあるのですが、いつか散る桜であることを知り、咲いている短い時間の中で、ひたすら精神的に豊かな国づくりを目指し、今を全力で生きること、そんなことを思います。

生か死かという極限の中で生きようとした、そして生き抜いた皆さんの命の輝きからすると、平和の中で生かされている私達は、どれだけ幸せな日々を過ごさせてもらっているのでしょうか。先人たちからの贈り物である毎日に感謝しながら、私達もまた生き様を同世代の人に、そして後に続く人に見せなければなりません。

単に生きているだけでは許されないのです。年々歳々花相似、歳々年々人不同。毎年同じように見えても、ここにいる人は同じではないのです。その時に一緒にいられる人を大切に思い、そして志を持って自分に与えられた役割を果たすべきなのです。

来年、人は変わっても同じように花は咲きます。例え自分がいなくなったとしても、来年も同じような花が咲くように、今日も同じように種を蒔きたいものです。先人の基礎の上に立って私達の今の生活があります。私達は先人の残してくれたものを大切にいただきながら、次の人のために新しい基礎を築く必要があるのです。

昭和の時代を全力で生きた人の魂をいただきました。歳々年々人不同。私達に出来ることは、今を生きること以外にないのです。