コラム
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2011/11/16
924    避難訓練

津波防災の日のシンポジウムに参加しました。大災害が発生した時に助かる人はどんな人なのか、答えがありました。それは地域の防災訓練に参加していて、訓練の際、避難所で顔を合わせた人が、本当に津波が発生した時に逃げることができていた人だったのです。 「避難訓練の時に顔を合わせたのと同じ人が避難所にいました」という言葉がすべてを表しています。つまり日頃やっていることが本番でもできるのです。逆に言うと、日頃やっていないことは本番でもやれないのです。

しかし避難訓練は一回だけではなくて年に一度でも良いから継続的に実施することが必要です。普段からやっていることが実践できるからです。

津波の日の記念シンポジウムの基調講演の時、プロジェクターの調子が悪くて、パソコンの画面がスクリーンに映りませんでした。そのため基調講演は時々止まることがありました。しかし大事なシンポジウムに備えて事務局は準備を整えていました。本番の前日にもパソコンとプロジェクターの準備を行い、スクリーンに映ることを確認しています。当日の午前にも画面がスクリーンに映ることを確認しています。それにも関わらず、基調講演の場面でプロジェクターの調子が悪くて、講演の進行を妨げたのです。代替機を持ち込み取替えたことで以降の進行はスムーズに行きましたが、非常時の対応は冷や汗ものでした。それだけ想定外の出来事は予期しないところで発生するのです。準備と調整を行っていても不具合が発生することがあるのです。

災害に備えての避難訓練を怠っているようでは本番を迎えられません。災害の本番は突然やってきます。しかもそれは予行練習ではありません。訓練していない行動を取ることは困難なのです。避難行動は自己責任です。自分の命を守ることを他人に任せる人はいないからです。

それでも防災対策は行政機関の仕事であると主張する人がいます。勿論、ハード対策や逃げるための情報提供は行政機関の役割ですが、逃げる行動の責任は自己責任に尽きます。

「私は逃げないから」と言う人もいます。それは私の命は行政機関が守ってくれるべきだと宣言しているようなものです。最も大切な命を守ることなのに、他に責任転嫁をしてはいけないのです。自分がやることをしないで、責任だけを誰かに持っていく考えは止めるべきです。

行政機関は避難場所を示してくれますし、津波情報も提供してくれます。万が一の時は避難勧告も出してくれますが、どこに逃げるかの判断と行動は自分で行うべきです。決められた避難場所が避難に適しているかどうかは状況により違ってきます。津波が発生しているのに平地の避難場所に逃げては駄目なのです。

地震の場合はこの避難場所へ、津波の場合は近くの高台へ逃げるという意識を持って、普段から防災意識を持ち、避難場所への行き方の確認と避難訓練を行いたいものです。

日頃からやっていることが本番でもできること。日頃意識していることが咄嗟の場合にできること。災害発生の場合は自己責任を覚悟した行動を取りたいものです。