コラム
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2011/10/27
911    公共の負担

日頃が全てとはよく言ったものです。当たり前のことができる人は仕事もできますし信頼もできます。当たり前のことをしない人は仕事ができませんし信頼感に欠けます。

日常の中の当たり前のことをしない人とは次のような人のことです。洗面所で手を洗う時、大量の水を流し放しにして髪の毛を整えている人。同じく洗面所を使用した後、水飛沫が飛び散らかっているのに拭くことをしない人。靴を脱いだ時に揃えないで、そのままにしている人。

飲食店で必要以上の食べ物を注文して平気で食べ残す人。特に定額制の食事で食べ放題の場合に食べ残す人がいます。

このような行為に遭遇すると気分が良くありません。中でも注意をする時がありますが、多くの場合、行為を正すことはしないで文句を言います。「関係ないでしょう」、「勝手でしょう」という返事がきます。勿論、個人の勝手ですが、勝手にしても良いのは常識的な線までです。常識と照らし合わせて、おかしな場合は社会においては自分の勝手で済まないのです。その行為を見た人が気分の悪くなる光景や、水や電気などの資源を無駄にしている行為は勝手で済まないものです。水道水はそれを届けるために仕事をしてくれている人がいます。電気も同じで、使える状態にして安全に届けるために働いてくれている人がいます。私達が快適な暮らしをしている陰には、それを届けるために働いてくれている人の存在があるのです。水や電気もそうですし、食べ物を料理してくれている人や衣服を作ってくれている人がいます。履いている靴にしても原材料を作っている人、原材料を製造工場に運んでくれている人、デザインをしている人、実際に作ってくれている人、流通に関わってくれている人、そして販売をしている人などが存在して、私達が所有できているのです。文明社会において私達が使用しているものは、そんな長い過程を経て届けられているものばかりです。世界中の多くの人が、私達の生活を快適にするために尽くしてくれているのです。

「その分のお金を払っているので自分の好きなように使っても、消費しても浪費しても勝手でしょう」という反論がありますが、お金を払っていても公共的な空間や公共の福祉に反することや、見た人が気持ちの良くない行為は慎むべきでしょう。

一事が万事とも言います。自分の所有物を大事に使わないことや、公共物を無駄に使うこと、公共の場に存在する無料のもの(水や電気)を、もったいないと感じないで必要以上に使う人は人格を疑います。少なくとも一緒に仕事をしたいとは思わないものです。

私達は人が交流する社会で生きて活動し公共の場所を行き交っています。そして公共のものは知らない誰かが費用を負担しています。もしゴミを捨てたら、清掃の仕事の人の人件費が発生します。もし公園の水道の蛇口を開けっ放しにしていたら、ここに住む市民全員が水道料金を負担しています。必要以上の食べ物をお皿に取り残したら、食材費用はその飲食店のコスト計算に参入されますから、お客さん全体が負担することになります。社会では見えないコスト負担を誰かがしています。社会で暮らしている私達は「勝手でしょう」は通用しないのです。資源を無駄にする行為、不快感を与える行為は止めるべきです。