コラム
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2011/10/24
909    正義

正義の定義は難しいものです。圧倒的多数の世論が正義とは言えませんし、多分正しいと推測される正義であっても社会の中で少数派であれば、それを押し通すことは社会で納得性の低い帰結となり、果たしてそれを実現させることが正義だったのか分からなくなります。

またある集団から見るとその行為が正義であっても、反対する集団から見ると正義とは思いません。特に争いごとはどちらが正義か分からないので、法律に基づいた裁判があるのです。多くの人は裁判で争うまで至らずにお互いが妥協した結論を出すのですが、その場合はどちらも正義だと思って納得しているのです。争いごとは、うかつに人の話を信じてはいけない場合があります。何かの判断が必要な場合は、両者に会って直接話をして内容を確かめらければ事実に辿り着きません。今まで多くの経験をして、そのことがどれだけ重要なことかが分かりました。一方の意見だけを聞いて判断する、一人の話を信用してそれに基づいた行動をしては事実の認識を誤るのです。

最低、自分が正しいと思うための判断をする時は、相対する見解を持つ当事者の双方と会うこと、そして話を聞くことをすべきです。双方の話を聞くと対立点が明確になり、どちらが正しいことを言っているのか、どちらが嘘を話しているのか、その輪郭が分かってきます。但し明らかに嘘を言っているのではなくて、その人がある事実に対して、そうだつたと思い込んでいる場合や、時間の経過と共に自分が有利な解釈をしている場合が多々ありますから、嘘ではない嘘の類を見抜くための眼力が必要です。

では正義はどこにあるのか。複数人の意見を聞いて多数が支持する人が正義である場合が多いのです。多数の人が支持するのは極めて常識的な見解に基づいています。社会生活をしている常識的な人の見解が正義を見抜くのです。90パーセントの人が支持する正義は、恐らく事実も正義です。60パーセントだとか55パーセントなど、そのパーセントが下がっている場合は正義が分かりにくくなります。

その場合の判断基準は、社会的に責任を取れる立場の人や、組織体を成している会社を代表する人の意見が参考になります。誰に聞いても、あの人は信頼できる人だと言われている人の見解は判断する際の役に立ちます。そしてしっかりとした会社の長の見解も大いに参考になります。極力危険な事例に近寄らない判断をしてくれます。社会では正義と見せかけて実は実態が伴わないものが数多く存在しています。人の人脈や信頼を使うだけ使って正義に見せようとする人がいます。元々日本人の感覚にはなかった見せかけの正義が横行しているので注意が必要です。

最終的な正義の見極めはお金の流れです。関係者がお互いに、その仕事でのお金の流れ透明にしている場合は正義です。不透明な場合はそうではありません。一方だけが儲けるしくみで、他に損をさせるような行為は正義ではありません。その結果、お金がどこに流れるのか、公平に配分されているのかが分かる仕事は正義の場合が多いのです。言えることは一方だけにお金が入る仕事やしくみは正義ではないということです。