コラム
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2011/10/20
908    教育論

教育委員と話をした教育論。教育とは何か、答える人によって回答は違います。教育の必要性は疑う余地はありませんが、何故必要なのかに関しては明確な回答はありません。

ひとつの回答です。社会に出ると未成年であっても、社会人経験のない人であっても競争にさらされます。社会で競争を避けて通れる人はいないのです。一度、社会に出ると競争が待っていますから、中学校や高校では競争に備える力を身につけることが必要で、競争心を身に付けることこそが教育なのです。競争心のない教育はありません。社会生活、社会で生きていく上において何の役にも立たないからです。何の役にも立たないことが教育の筈はありません。

勉強でもスポーツでも、そして文化活動でも競争があります。競争のないところには人として生きていく力が宿らないのです。そして人と競争をしているからこそ、人の強さや怖さ、優しさを知ることができるのです。心のある人と競うことで、負けた時の悔しさを知り、勝った時の嬉しさを知り、それぞれの場合に相手から優しさを知り、勝ったことによる戦った相手を労わる気持ちを知るのです。その競争する機会が学校であり、ここで競争心を身に付けておく必要があります。社会に出てからは本気の競争が待っています。学生時代に競争することなく過ごした人は、社会生活をすることも仕事をすることも困難です。何よりも競争に惹起した人の気持ちが感じることができませんから、結果をうけとめることはができません 。

コンピューターゲームと人の社会は違うのです。ゲームの中でどれだけ勝っても、相手をやっつけても、相手の心は分かりません。勝っても負けても相手を思いやる気持ちは芽生えません。競争をしていても競争から芽生える心が伴っていなければ教育とはいえないのです。ですからゲームは競争の要素があっても教育ではありません。

勉強の順位が低ければ悔しくて次回の試験は頑張ろうとします。スポーツの試合で負けたら、次は勝とうと努力します。文科系のクラブ活動でも競い合う場面があります。そこで自分の作品が賞に入ったり評価されたら嬉しさを感じます。競争の場面において心で何かを感じることが大切にしたい心なのです。それを感じさせてくれるのが教育です。

教育は生徒に競い合う場面を提供し、勝ったり負けたりする場面で人とした大切な心を気付かせることなのです。それが先生の役割であり教育の必要性なのです。人は社会で生きていきます。社会は常に競争の中に存在しています。人が成長するためには正当な競争は必要なのです。人を騙したり裏切ったりする行為は人として卑劣で競争原理外にあるもので論外ですが、勉強でもスポーツでも仕事でもその分野にいる相手との競争があります。

そこで勝つための努力ができる才能が競争心であり、それを習得させるのが教育なのです。生きていくための力を身に付ける機会が教育ですから、大人は子ども達に正当な競争機会を与えるべきです。それを避けているようでは社会で通用しない人間になりますから、周囲の大人が甘やかしただけの学校生活を過ごしただけで、本当の教育を受けていなかったことになります。社会で必要とされる人は、感情を持った競争心のある人なのです。