コラム
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2011/10/19
907    あと10年

昭和36年の出来事を調べました。1月、第35代アメリカ大統領にジョン・F・ケネディ就任。8月にはドイツに東西ベルリン間に壁が建設されています。「巨人、大鵬、卵焼き」 が流行ったのもこの年だったようです。昭和36年10月2日は大鵬と柏戸の二人が横綱に同時昇進した日であることも知りました。当時の内閣総理大臣は池田勇人、第二次池田内閣だったのです。当たり前ですが随分と過去の出来事が並びます。

ケネディ大統領は死去、ベルリンの壁は崩壊、大鵬と柏戸は引退し相撲協会も定年しているように、平成23年の今では全てのものがなくなっています。

私が誕生した年の苦悩も喜びも、50年も経過した後では全く形跡はありませんし、当時の社会的出来事が現代社会にどうつながっているのか、その継続性も分からなくなっています。平成23年、今の出来事を50年後にどれだけの人が覚えているでしょうか。今の政治的出来事が50年先に影響を与えているのかも不明です。

当時のことで記憶として残っているものは、池田内閣の時の国民所得倍増計画位でしょうか。この計画は1961年から10年間で実質国民所得を倍増させることを目標に掲げ、計画通りに日本経済は驚異的な成長を遂げ、現代の日本へと続いているものです。このような国家的事業を除くと、大抵のことは忘却の彼方です。

そう思うと、50歳を迎えた私が活動していることも、50年先には何の形跡も残っていないことは確実です。歴史的出来事でさえ覚えている人は少ないのですから、地方で活動している人のことを覚えている人はいる筈はないのです。

それならば、後世の人は今のことは誰も覚えていないのだから、世間を気にしないでやれることをやっておくことが大切なことです。平成23年の出来事を誰も知らない時代は確実に到来する、それならば今やらなければならないことがあり、小さいながらもそれをやれる立場にあるとしたら、実行しなければ存在する意義はありません。

平成23年10月2日。50歳の誕生日を迎えました。自分では全く信じられない年齢になりました。記述すると過ぎ去った時の重さが分かります。10歳代、20歳代、30歳代、40歳代が過ぎ去り、戻れそうな感覚がありますが、そこに戻ることはないのです。50歳代は現役として集大成の年代です。社会的には60歳が定年の時代ですから、残すところ後10年。残りの期間の輪郭が明確になり、今までの10年よりも貴重な期間となります。

今年中にやるべきことは、60歳までの10年に対して1年事に区切りをつけて、その1年に何を達成するのかを明確に記します。全ての可能性が開かれていた年齢と違いますから、1年の活動、それを積み重ねていくこと以外にすることはありません。

感覚的ですが、峠を登っている年代が40歳代までで、50歳は峠の頂上に立っているような気がします。峠の下にある景色全体が見渡せる状態。つまり下を見ればこれから目指す場所が見え、上を見ればどこまでも青空が広がっている、そんな感じがあります。

どんな経路で終着地点を目指すのか。その過程で自分が納得できる何を達成していくのか。大きな命題が見えてきます。言えることは50年先では、これから達成することを誰も知らないということです。達成しても、到達できなかったとしても、世間を気にする必要はないということです。描いていることを思い切って達成させなければならない年齢。また思いを達成する行動をしなければ後悔だけが残る年齢となりました。

平成33年10月2日。これからの10年に悔いを残さない達成感に浸りたいものです。大切な10年を迎える入り口に立っていることに感謝しています。