コラム
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2011/10/11
902    交響曲

人生は、与えたものが受け取るもの。奪うものが失うもの。懸けたものが受け取るもの。恐れるものが失うもの。信じたことが受け取るもの。疑ったものが失うもの。こんな言葉を受け取りました。いつも応援してくれている方からのメッセージです。

つまり自分の行動によって受け取る人生の報酬が決まるということです。人に与えたいものは自分がもらっても嬉しいものであり、人から何かを奪ったとしたら、それはいつか誰かが奪いにくるものなのです。ただ世界は複雑で、与えた相手から何かを受け取る機会は滅多にありません。「以前、困っている時のあなたの願いを適えたから、今度は私のこのお願いを聞いてくれることで、その時の借りを返してね」と、言うことはありません。直接的な貸し借りではなくて、世の中が循環していることに気づいて行動をすることが大事なのです。Aさんに与えたものが、違う姿でいつか分からないけれどBさんから返ってくるのが世の中の法則なのです。

行動においては、直接何かを求めないことが間接的に返ってくることにつながるのです。

簡単な例があります。その人の生き方を応援するということは、「私がこれだけ応援したのだから、今度は何かで返すべきだ」だとか「応援したお礼を言ってこない。今度は知らない」という次元のものではありません。本当に応援しているのであれば、そっと見守るような姿でいたいものです。

第三者から、「あの人から批判の声があがっているよ」と聞かされると、その人にところから遠ざかります。結局、相手を批判することは、その人を遠ざけてしまうのです。与えたものだけが与えられる法則の通りです。批判によって相手の行動の機会を奪ったことは、実は将来の自分の行動の機会を奪っているのです。他人の批判をする人の元からは人は去っていきます。人が去るということは、将来、その人が運んでくれるかも知れない人脈や情報が去ってしまうということです。批判によって相手から奪ったものによって、今度は将来、自分の元に訪れるべきものが奪われるのです。

この関係は同時に発生するものではありませんから気づかないのです。先に自分が発生させた原因によって、将来、自分のところにそれと同じ大きさの結果が訪れるのです。常に自分が起こした行動の結果が現れるのです。人生を懸けた行動に対して結果が訪れます。懸けたものは受け取れるのです。一番を目指した行動に対して一番になれなかったとしても、それは懸けた結果なのです。一番を目指した日々の充実感やそれに懸けた達成感、そして届かなかった悔しさが、その後の行き方に活かされるのです。

恐れて行動に踏み出せなかった場合、欲しいものを受け取ることはできません。行動を起こさない限り、恐れている限り、思いは実現することはないのです。

与える、懸ける、信じることができれば、例え思い通りにならなくても受け取るものが多い、より深い人生を味わっていけるのです。生きている毎日の中でオーケストラの交響曲みたいな味わいを感じたければ、社会に与えること、自分に懸けること、相手を信じることによって、望んだプロセスと結果と言う果実を受け取ることができます。