コラム
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2011/10/12
903    氣は目

人と会話をしていて、「あっ」と思うセリフに出会うことがあります。セリフを発している本人も気付いていないこともありますし、会話の流れの中で出てくる本人も意識をしていない場合もあります。

そんな何気なく、気持ちに訴えてくる言葉に出会った時は幸せな気分になります。毎日、多くの言葉のシャワーを浴びていますが、その中から「これはお気に入りの言葉だ」と気付く瞬間があります。今日もとても生きていく上で参考になる言葉に出会いました。次の言葉がそれです。

「氣は目、生活は顔、教養は声、心の中は口」。

どうでしょうか。見事に言い当てています。氣迫、氣力は目に出てきます。目に力のある人、目が輝いている人は氣力が漲っている人です。目力のある人はその仕事を任せても大丈夫な人です。但し、本氣の目と本氣に見せた嘘の目がありますから、それを見抜く力が必要です。

生活は顔に出る、その通りです。疲れた顔、活力を感じる顔などは、生活の充実度から派生しています。

そして教養は声に乗って出てくるのです。聞き取り易い、分かり易い、そしてトーンが安定している声の持ち主は教養があります。抑揚が激しい人や、言っていることが理解できない人も存在していますが、声に乗って出てくるのは頭の中の思考です。本を読んでいる人や高いレベルの仕事をしている人の声は、直線的に伝わってきます。

最後は、口は心の中を映し出しているということです。相手の心の中は分かりませんが、口に出した言葉で心が分かるというものです。嘘や本気でない言葉を発する場合があると言いますが、全く思ってもいないことは言葉になりません。少しでも思っている、少しでも感じていることが言葉になって口から出てくるのです。心の中は分からないけれど、口から出た言葉から心の中を察することができるのです。

ある落語家の話を伺いました。その落語家の中学校の時の恩師から聞いたエピソードです。その落語家は高校一年生の時に不登校になりました。その高校の教頭先生が心配して、自宅に様子を伺いに行ったのです。教頭先生から、学校に出てこない理由を聞かれた時、困ったので咄嗟に「落語の勉強をしていたので学校に行けません」と答えたのです。全くのデタラメですが、教頭先生は「分かった。では落語のできる場所を用意するので、先生に落語を聞かせてくれたら単位をあげる」と答えたのです。

その生徒は、それから落語の練習を始め、後日、教頭先生の前で落語を披露したのです。

それがきっかけで学校に登校するようになり、落語の面白さにはまっていったのです。高校時代は落語の練習を続け、卒業後、イベントの仕事をやっていると、吉本興業の目に留まり、吉本興業に行くことになりました。その後、プロの落語家となり、現在は舞台やテレビで活躍しています。口から出た言葉の通りの人生になったのです。教頭先生に言った言葉はデタラメだったかも知れませんが、心の中で何か感じていた筈です。全く何も関心のないことは口から出ないからです。思い切って言ったことで不登校から脱出できて、落語の面白さに惹かれ、それが職業になったのです。

心の中は口が表してくれることの実例です。心は言葉を通じてうかがい知ることができるのです。