コラム
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2011/6/22
870    父親

子ども大きくなって社会に出て、ある程度社会的責任を持つ年齢になると、父親と話し合う機会が少なくなります。父親が定年を迎えてからの年月が長くなり、子どもが社会に出てからの年月が長くなると、社会での立場は逆転することになります。つまり会社や地域社会で顔が利くのは大きくなった子どもであり、同僚や知人の全てが定年を迎えてしまった父親の社会的に役割はなくなるからです。

人生の先輩としての父親は超えることの出来ない存在ですが、社会で果たす役割、つまり仕事や社会的影響力は子どもの方が大きくなります。小さい頃は、父親に相談して進路を決めていたことが遠い昔の出来事になっています。社会人として父親に相談していた時期も遠くなりました。今では社会における出来事や仕事への対処方法について、父親に相談することがなくなりました。父親の存在が子どもの中から消えようとしていることは寂しいことです。子どもの社会での地位が確立されると、父親に頼ることがなくなるのです。

父親と仕事の話をすることはなくなり、顔を合わせても世間話に終始することになります。

小さい頃はあれ程、怖かった父親が、あれ程何でも知っていた父親なのに、今では自分の知識や経験が、父親の経験を上回っているのです。それと共に父親の怖さがなくなり、また頼ることもなくなっていくのです。

仕事の場ではなくて、家庭内が居場所となった父親は悲しいほどに優しくなります。社会で活動する機会が失われると、強さは必要なくなるからです。父親は守るものがあると強い存在ですが、年を取って年金や福祉制度によって社会が面倒を見てくれる頃になると、従来の強さは求められなくなるのです。そして子どもは、社会で生きて行くための強さを身に付けていきます。

父親と交わす言葉は何気ないものになっていきます。「また遊びにおいで」、「仕事で無理をしないように」、「何でも手伝うので言って来てよ」などの言葉です。子どもからは、「年なんだから無理をしないように」、「健康に気をつけていつまでも元気でいて下さいね」などの言葉が返されます。以前のような男同士の仕事の話には程遠くなっていますが、年月を経て親子の会話としては悪くありません。

父親が年齢を重ね、成長した子どもにとっては一緒にいられる残りの時間が気になって来る頃、穏やかな部屋で他愛も無い会話を交わせる瞬間、かつてのような現役時代の父親と父親の子どもだった子どもに戻れます。

80歳になった父親。少し動きが鈍くなり、言葉も単純な言葉に変化しています。かつて怖かった父親が、寂しいことですが怖くなくなっています。心持ち痩せて、腕や足が細くなっています。強い象徴であった父親が、強い存在ではなくなっているのです。でも強くなくて良いので、これからも健康で長生きしてくれることを祈っています。そしてかつての子どもは、父親でいることの大変さと責任を感じています。