コラム
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2011/7/4
871    あの頃

かつての同級生O君の家を訪ね、そこでO君とお母さんに会うことができました。「昔と全然変わっていないねぇ」と驚いて、続いて話をしてくれました。「息子の同級生が県会議員になってくれて、本当に嬉しいですね。息子の誇りになるためにも、もっともっと、頑張って下さいね」と励ましてくれました。

改めて思うと、O君とは小学校、中学校、高校も一緒でした。先の5月3日、実に37年ぶりとなるドッヂボールをしたばかりで、懐かしさがありました。しかし時の経つのは早いもので、小学校当時快速を誇ったO君のスピードボールは再現できませんでした。その時に踏ん張ったことから足を痛めて病院に通院している現実を見て、何も不安なことが起きなかった子ども時代は、遥か遠い昔であることを実感しました。

別れ際にお母さんは涙を零して喜んでくれました。「息子のところまで、そして私のところまで、忘れないでわざわざ来てくれたことに感謝しています」という言葉を残してくれました。きれいな涙と素敵な言葉は人の心を打ちます。タイムマシンに乗って昔に返ったような錯覚がありました。

もう戻ることはできませんが、でも、あの頃の気持ちを持ち続けられていることを嬉しく思っています。大空の向こうに未来が広がっていた頃、まちの向こう側に何かが待っていたと思っていた頃、そして何にでもなれると信じていた年代でした。その37年後の未来を生きています。確かに未来は存在していました。ただ未来という社会で主役にはなれていませんが、自分の中では主役を張れている年代になっています。親と子どもという大切な役を引き受けてくれる人に囲まれて、主役の時代が続いています。かつて主役であった元同級生である私達の両親は子どもを主役に育ててくれ、そして今は助演俳優を演じてくれています。37年後の人生が再び交わっていることも悪くないものです。

何かを無くしてきたのではなくて、何かを得てきた道があります。知識も経験も、そして信頼も得てきています。活動の場は学校のグラウンドでのドッヂボールから、ゲームセンターへと移り、そして今はこの社会全体がフィールドとなっています。決められた場所ではなくて、自分が活動の場所を決められるのです。そこには導いてくれる先生は存在していませんし、いつも安全な道を示してくれていた両親も現役時代を離れ、道を示してくれなくなりました。常に交差点を進む道を選択するのは自分であり、歩くことも止まることも自分の選択でできるのです。社会生活で現役時代を張れるのはあと10年となりました。活動の領域をどこまで拡大できるのか、どこまで社会を前進させられるのか。残りの期間に託されています。誕生してから50年、小学校から38年、中学校から35年の道を歩いてきました。

決して戻らないあの頃は懐かしすぎますが、平成23年のこの時も、10年後から見ると、決して戻らないあの頃なのです。決して戻らないあの頃を生きているのですから、今を素晴らしいあの頃だったと言えるように、今日を生きたいものです。あの頃があると人は生きられます。