コラム
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2011/2/8
865    存続運動

平成23年。あれから8年が経過しています。本当に早いものです。あれからとは、和歌山市の公立幼稚園を廃園にする問題が議論された年のことです。当時の大新幼稚園と西山東幼稚園が、和歌山市の財政難と園児が減少していることから廃園にすることが和歌山市教育委員会から地元に提案されました。園児のお母さん達は突然の決定と、話し合いに応じない和歌山市の対応に猛反対をしたのです。

それまで政治とは無縁の生活を過ごしていた両幼稚園のお母さん達は、存続のための運動を起こしました。政治活動や社会活動に無縁だったお母さん達は、署名を集め、市役所や市議会に陳情に行ったりと運動を展開しました。平成15年当時、私は市議会に当選した直後で、廃園までの経緯が何も分からないままの対応となりましたが、存続に熱い思いを寄せるお母さん達の姿に共鳴し、市民の皆さんの意見を聞くことが市政であることを強く意識しました。現在に続いている皆さんからの意見を聞く姿勢と、社会的に意見を述べる機会の少ない皆さんの意見を議会に持ち込む姿勢を貫いている原点が、この公立幼稚園廃園問題にあります。

私は当時の存続運動のリーダーだったKさんに戦友のような気持ちを持っています。本当に久しぶりに会いました。そこで驚いたのは、あの時から8年が経過していることでした。当時幼稚園の年長組だった子どもが、もう小学校6年生になっているのです。そして平成23年の4月からは中学校に進学することになりますから、本当に月日の経つのは早いものです。

存続運動は結果として破れ、大新幼稚園は廃園となりました。Kさん達の子どもは大新幼稚園から去ることになりました。その年は寂しい春でした。今はなきものとなりひっそりとしている大新幼稚園に、熱く燃えた時期があったことを知っている人も少なくなっています。

あれだけの熱い市民運動が起きたエネルギーに、あれから出合ったことはありません。Kさんは「あの時に、何故あれだけの力が湧き上がったのか分かりません。若かったからと言うしかないですね」と話してくれました。若い力が行政の壁に挑み、そして願いは適いませんでした。涙の結果でしたが、あれから8年が経過しています。今では思い出の中の出来事になり、当時の幼稚園児だったK君は中学校入学に備えて、冬休みも塾に通っています。時が流れたことを感じる光景です。

人はその時、その時に自分の信じるベストの行動を取ります。結果は適うかどうかは分かりませんが、それが生きていることです。後で振り返ると、結論はどうだったかは関係なくなります。導かれて結論に沿って私達は生きる以外にないのですから。

大新幼稚園が存続していたら、関係していた人にとってどんな人生が待っていたのかは分かりません。それは世の中に存在していない未来だったのですから。

しかし今、国の方向性は幼保一元化の流れに向かっています。Kさん達の訴えは時代が早かったのでしょうか。時代が今になって追いつこうとしています。その流れを見ていると、「存続運動をして良かったかも知れない」と思うような微笑がありました。例え若かったからできた運動だったとしても、時代を捉えていたのです。

既に8年前の出来事です。当時の幼稚園児が中学生になる春以降は、もっと忘れられることになりそうです。

でも、あれがあったから懐かしいと思える出来事であることは事実です。もしかして人生は、あれがあったから懐かしいと思える出来事を多く持っている人が幸せなのかも知れません。