コラム
コラム
2011/1/5
853  時間と生命

人の話を聞く姿勢は素直な気持ちになることです。素直な気持ちを持つことで人の話が身体に入り込んでくれるのです。ところが素直に人の話を聞けない人が多いのです。その理由は、人の話や考えを受け入れるだけの器がないからです。大きな器の人は他人の話を自分の中に取り入れますから、もっと器が大きくなっていきます。小さな器の人は人の話を受け入れませんから、成長は止まってしまいます。人の話を聞くには器の大きさが必要であることを気づきたいものです。

折角、人が話をしてくれているのに聞かないのは自分にとって勿体無いことですし、相手に対してはもっと失礼です。相手は自分のために、とても貴重な時間を割いてくれているのです。時間を割いてもらっているのにそれを無駄にすることは、相手の時間を奪っていることになり、つまり相手の生命を奪っていることになるのです。時間は生命のことです。生きている時間が生命のある時間であり、意識の中においては時間と生命と同じ意味を持っていると考えたいところです。

時間は与えられた生命の中において存在し、価値のあるものです。生命が失われた後の時間は、かつて存在していたその人にとって価値のないものです。ですから生きていることは時間を食べて生きていることなのです。一人ひとりにとって時間は大切なものですから、相手の時間も自分の時間と同じように大切にすべきものです。相手の時間を無駄にさせることは、生命を奪っていることだと気づいたら、相手の時間も聞いている自分の時間も大切にすべきものであることが分ります。そうすると、年下の人や経験の少ない人など誰の話でも、学ぶものがあることに気づきます。

時間を無駄しないためには、その時間の中から時間以上のものを得ることです。時間以上のものとは、自分が何十年研究しても、何十年挑戦しても到達できないこと、または経験し得ない知識や体験を聞いて自分のものとして受け取ることです。何十時間の時間が、例えば話を聞くわずか1時間で得ることができるのです。これは価値があります。生命を掛けて得た知識や体験を1時間で得られるとしたら、自分の生命を他に活用することができるのです。人の話を聞くとは、そんな重要なものなのです。

時間や相手は生命力を持っています。生命力とは生きようとする強い力のことを差しますが、相手の話を聞く、つまり生命力を受け取るためには、自分も強い生命力を備えておく必要があります。強い生命力を弱い生命力の持ち主が受け取ることはできません。

生命力のある素晴らしい話を聞いても自分のものにならないのは、生命力が弱いことを意味しています。まずは生きようとする内なる力を目覚めさせたいものです。

そんな生きようとする力とは、今日一日活動できる何かがあること、今日一日、新しい人に出会う勇気があること、そして今日一日、学ぼうとする意欲があることです。相手の時間を奪わないで生きたものにするためには、生命力の溢れた大きな器を持つことが条件です。皆さんの大切な時間という生命を受け取るためには、それ相応の覚悟が必要なのです。皆さんの意見を素直に聞ける人でありたいものです。