コラム
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2010/5/7
819 松本上人座談
同級生の松本恵昌上人。話をすると、いつも素晴らしい言葉をいただいています。和歌山県にいてくれることで格をあげてくれていると思える人です。平成22年4月の教えとして、以下のことを皆さんに伝えられることを嬉しく感じています。

人は自分が体験したことは話せるけれども、未体験のことを経験した人に話しをすることは難しいものです。体験を重ねている人の話が聞く人の心を打つのは、体験を自らの言葉にして伝えられるからです。他人の感動体験を自分が誰かに伝えようとしても、生の感動を伝えることは難しいようなものです。

別れと旅立ちを体験し、乗り越えてきた人が話せるものがあります。人は人生という修行を行っているようなものだと伺いました。修行とは難行苦行ではなくて、向上心を持つことにあります。向上心を持ち続けている限り壁は聳えるものですし、困難は幾度となく襲ってきます。向上心を持つことが修行なのです。苦しいことがあるのは、人間を生きているからなのです。生きていると実感するのは、幸せな時、苦しい時なのかも知れません それならば死の瞬間まで助かりたいと思う人としての向上心を持っていることから、生涯、修行を続ける旅を行っているようなものです。

人は様々な体験をしますが、その中には良い体験と悪事の体験があります。どちらも大切なのは言うまでもありません。勿論、悪事に染まってはいけませんが、悪を体験して染まらなければ、今度は私が誰かを悪から守ることができます。体験は人生の肥やしになる。そんな気持ちで日々を挑戦したいものです。

そして大人になるに連れて、汚いもの、見たくないものを見るようになります。だから子どもに対しては、極力、美しいものを見させること、そして美しい体験をさせることが大切なのです。世の中が美しいものだと思っていると、汚いものを見ても、そんなものがあるのだと流せることができます。汚いことが世の中だと思ってしまうと、その世界の住民になってしまいます。一たび、汚い世界に精神が住み着くと、抜け出すことは容易ではありません。

美しいものを見る、きれいなものに囲まれる、そんな日常を過ごしたいものです。周囲に美しいものを揃えるためには、自分の心を美しくする必要があります。きれいな心の持ち主のいるところに、同じ心の持ち主が集まります。逆の場合は、当然に逆になります。

蓮の花や蓮華の花は、汚い水の中でも咲き美しい花を咲かせています。汚い水の中からでも必要な養分だけを吸収して成長しているのです。人もこれと同じです。色々なものに囲まれて生きていますが、その中のきれいなもの、必要なものだけを吸収して成長を遂げたいものです。汚いものを吸い取ってはいけません。白鳥は汚れても白鳥ですが、人の心が汚れると悪という存在に変化します。人は、汚水を吸収しても浄化させる作用を忘れてはいけないのです。

誰かの言葉を引用することは気が引けることですが、他人の言葉であっても、それを自分の中に吸収して取り入れ、今度は自分の言葉として誰かに伝えることは堂々と行って良いことです。どれだけ素晴らしい言葉を聞いても、それを誰にも伝えないままにしておくと、その教えは止まったままになります。素晴らしい言葉は誰かに話さないと伝達されていきません。キリストや釈迦の教えは弟子達が伝えたから現代に残っているのです。それと同じように私達か感動したことや素晴らしいと思ったことは、誰かに伝えなければ残らないのです。

教えをもらった人の責任として、素晴らしい言葉を第三者に伝える取り組みをしたいものです。