コラム
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2024/10/24
1944    袴田事件その2

袴田さんを有罪に持ち込んだ当時の理由は分かりませんが、刑事訴訟をされた場合、99.9パーセントが有罪になっている事実があります。これは公安当局が優秀な証拠でもありますが、起訴されたら確実に有罪になってしまうということです。当時の捜査方法や関係者の話も聴いたことがないので推定する以外にないのですが、犯人と決めつけた場合のストーリーが存在していたなら、そこに自白の証拠を当て嵌めていったのではないだろうかと思ってしまいます。

また感情面では、88歳になるまで真の自由がなく、今も尚、自由の扉を開けようとしている状態に置かれています。無実の人の人生をどこまで翻弄しているのでしょうか。58年の時間、つまり人生は帰ってきません。国家権力が袴田さんの人生を奪ってしまったのです。

勾留中、母親に7,000通の手紙を出していたことを知りました。もしも犯人であったとしたら、母親に7,000通も無実を訴える手紙を書くことはありません。自分が真実を話しているのに警察や検察に信じてもらえない怒りや嘆き、諦めないで耐え続けている氣持ち、悲しみなどの感情から来ているものだと思います。母親に嘘の手紙を7,000通も書くことはあり得ません。7,000通の手紙を書き続ける心にあり得るのは真実だけです。

1,000回続けられたら一流になれる。10,000回続けられたら神の領域に入ると聴くことがあります。袴田さんが続けた回数は7,000回ですから、神の領域に近づいています。もしも嘘の訴えであれは、ここまで続けられないのは明白です。一つのことを毎日、1,000回以上、続けたことがある人なら分かることです。時間的にも氣持ち的にも簡単に続けられる数字ではないのです。1,000回続けることは3年間続けることです。10,000回続けることは30年続けることです。真剣であり、かつ覚悟を持たなければ続けられない数字です。

悔しさや悲しみが入り混じった感情を、袴田さんは誰に訴えても聴いてもらえずに心に抱え続けていたのです。しかも国家権力によって抑えられていたとすれば絶望の中でどんな氣持ちで耐え続けてきたのでしょうか。それを思うだけで涙が出てきます。

せめてお願いしたいことは、控訴しないで欲しいということです。これ以上の時間を奪わないで欲しいのです。残りの人生が幸せであるように導くことが、袴田さんの人生を奪ってしまった国家権力の務めだと思います。

しかも現代社会は、当時と同じ状況にあると思います。マスコミがある人物の批判の記事を書き、連日のように悪人だと決めつけて叩き出しています。その人に会ったことのない人は、マスコミ報道を信じて一斉に批判や「辞めろ」の世論を形成してしまいます。マスコミが世論を誘導し形作ってしまうと、反対の意見は言えなくなってしまう空気が社会に充満します。袴田さんが怪しいと言われた時の記事では「容疑者H」と書かれ、逮捕されると犯人と決めつけて「袴田逮捕」などの記事がありました。逮捕された時点では犯人と決めつけることはできないのです。しかし国家権力とマスコミの力によって世論が形作られて、そこから抜けだせない空気になってしまうのです。現代社会も同じ空気があることを伝えたいと思います。

会ったこともない、直接話したこともない人が連日、悪人のように報道されると、報道が正しいと思い込んでしまうのです。こんな社会がある限り、袴田さんのような冤罪事件が起きてしまう危険が潜んでいます。

どうか控訴することは止めていただき、袴田さんの残りの人生を穏やかなものにして欲しいと思います。そして私たちはマスコミ報道を全て正しいと思うのではなくて、そのことに関心があるなら両者の言い分を聴いて判断する時間を持つことが、人権を護れる正しい社会に導くことにつながると思います。

そしてもう一つ。僕も袴田さんの事件のことは知っていましたが、詳しく知ろうともせず関心も低かったのです。関心のなさがこの冤罪事件を長引かせてしまったように思います。

関心をもって事件のことを知り「何かおかしいな」と感じたら、小さな行動を起こせたかもしれません。行動に至らなくても、周囲の人と「袴田事件について」話すことはできたはずです。小さな声であっても、誰かと話すことは確実に社会の空気を変えることにつながります。袴田さんの無罪を確定させると共に、私たちは社会の一員として「変だな」と感じたことは周囲と話すこと、報道に支配されないことを心掛けたいと思います。それが社会を良い方向に向かわせることだと思います。