コラム
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2022/6/10
1879    不平等条約を改正せよ! 陸奥宗光の外交戦略

令和4年5月25日にNHKで放送された「不平等条約を改正せよ! 陸奥宗光の外交戦略」を録画で観ました。故郷の偉人、陸奥宗光外務大臣を主人公に取り上げて不平等条約改正に至る人生を紹介していました。外務大臣としての戦略と苦悩などが分かりやすく紹介されていました。

政治や外交は「人によって変わるアート」と説明がありました。誰がトップを担っているかによって結果が違うということです。アートですから表現は自由で、完成した作品を鑑賞するだけでは素人には評価が難しいのです。制作過程を知ること、作品に込められた想いを知ること、そしてその人物を知ることによって、結果に秘められた核心が分かります。そしてアートに込められた意味とは次のようなことだと思います。

同じテーマで描いた作品でも作者の描き方によって違う作品になります。完成した作品は全て違うものになっているはずです。誰が描くかによって作品が違うと同じように、政治や外交は誰が担うかによって結果が違ったものになるということです。同じ政治テーマ、同じ外交テーマだから「誰が担当しても同じ結果になる」とはならないのです。誰が担当するのかによって結果は違ったものになるから、政治や外交はアートなのです。

番組では坂本龍馬にも触れていました。ご存知の通り陸奥宗光外務大臣は坂本龍馬の弟分であり、師から海援隊などの仕事を通じて多くのことを学びました。龍馬から学んだことが実力となり明治政府で才能を発揮するのです。

陸奥宗光伯の活躍を捉えて、番組では「坂本龍馬は明治政府でも生きていた」と表現していました。つまり坂本龍馬は政治、藩との交渉、商社運営など多彩な活動を行っていました。才能が豊かだったことは事実でしょうが、その全てを一人でやっていたわけではないのです。陸奥宗光伯のように弟分や仲間が、龍馬がやっていた仕事をそれぞれが担当していたのです。 

実際、動いていたのは龍馬一人ではなく、龍馬が信頼して行動を共にした仲間が役割を担っていたのです。

ですから明治政府には龍馬の影響を受けた人物がいたので「龍馬は明治政府においても生きていた」と表現したのだと思います。

つまり偉人であっても、大きな事業は一人で成し遂げたものではなくチーム全員でやり遂げたものだとも言えます。これはむしろ坂本龍馬の凄さを物語っているもので、一人ではなく多くの志ある仲間が周囲にいて、龍馬がこの世を去った後もその意思を受け継いで時代を築いてくれたことで評価を高めているのです。

偉人に学ぶとは、このことです。偉人が生きている時から偉大だったことではなく、自信の志と行動、その志を受け継いだ人が後の世に何を成し遂げてくれたかによって、偉人になると思うのです。

批判されるかもしれませんが、坂本龍馬はその意志を受け継いだ陸奥宗光伯によって時代を変えて評価を高め、陸奥宗光伯は小村寿太郎によって外務大臣としての評価を決定づけたとも思います。後輩が先輩の評価を高めてくれたとしたら、偉人一人だけの功績を語るよりもさらに凄いことだと思います。

志を持って行動したことが後輩に伝わっていること。それが歴史を創っていくことになり、後の世の人たちが「偉人」として評価してくれると思うのです。生きている間は偉人として崇められているのではなく、後の世の人が評価してくれることになるのが本当のところだと思います。

陸奥宗光伯の不平等条約改正に向かうときの思いです。「国民を一等列車に乗せたい」「一流の国の仲間入りをすることで国民を豊かにしたい」という思いで交渉をしていたのでしょう。現代に通じることです。