コラム
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2022/5/31
1878    20年前の幼稚園廃園問題

和歌山市議会戸田議長と懐かしい話が話題になりました。和歌山市議会議長を始めとする20年前の一年生議員が会派を超えて一緒になって行動したのが「市立幼稚園の廃園問題」でした。大新幼稚園と西山東幼稚園の二園が行政改革の対象となり廃園することで進行していたのです。和歌山市議会議員に初当選したときは議案となり、市長から提案されていた真っただ中でした。

当時の市議会では大勢は決まっていてベテラン議員を中心に「廃園はやむを得ない」という結論が出されようとしていたときでした。

事情を知るために初当選議員は保護者の意見を聞くことから始め、保護者の願いが廃園の議案に込められていない。つまり心のない対応をしていたことが分かったのです。結論が出される直前だから「仕方ないと従うことはできない」と考えた初当選組は、何度も幼稚園を訪問して現地を視察、保護者の意見を聞きながら、「保護者の意見を聞かずに簡単に廃園を決定するのはおかしい」と判断しました。そこで担当の教育委員会の責任者である教育長に現場に来てもらっての意見交換の場を設定、本会議で一般質問として取り上げること、市役所の陳情を行うなど、存続に向けて活動したのです。

ただ市長は一度も幼稚園に姿を見せてくれることはなく、保護者との議論を避けているように思えました。当時、和歌山市の財政が悪化していたため行政改革の必要性は理解していたものの、保護者の理解を得られないままで廃園を決定することに違和感があったのが経験の少ない私達一年生議員でした。教育委員会は「廃園を前提」にした交渉に終始し、市長は対応しない状況が続きました。

「廃園」の議案は継続審議として取り扱いましたが、決議をする議会を迎えました。私達は「行政改革は理解するけれど存続を願う保護者や子ども達の意見を聞くべき。聞く姿勢のない行政はおかしい」ことを最後まで訴え続けました。議案の決議に際して保護者と協議した「幼稚園のメモリアルを残す」「進学する小学校の設備を充実させる」ことなどを織り込んで議案を採決したのです。

結果として二つの幼稚園は廃園となりました。しかし保護者の意見を聞くこと、現場を最優先すること、行政の進めることがすべて正しいものか疑問視して対応することなど、短期間で経験を積むことができました。

何よりも議員が採決に挑むことの重み、所謂、決断力というものを痛感しました。議会では決断することが議員の責任であり悩んでも苦しくても賛成か反対の意思決定をしなければならないことを学んだのです。

この廃園問題から、人として議員として、熱意と行動、聞くことと考えることなど行動の基本となることを学んだのです。民意の反映を最大の価値とする議会は、強いものが力で押し切ることはよくないという原則を学ぶこともできたのです。

当時の一年生議員は今では20年の議員としての経験を重ねてきました。仲間の戸田議員は現在、和歌山市議会議長の要職に就いています。

「あの経験があったから今があるんだよな」「あの経験がその後の基本になっているね」と二人で話しました。そして「今では先輩議員と喧嘩してまで結束する議員はいないのでは」と戦友のように笑い合いました。そうまさに、同じ目的と志をもって戦った戦友だと思います。とても懐かしく当時のことを思い出しました。

嬉しいことは、二人とも議員としての原点になっている経験が「ふたつの市立幼稚園廃園問題での行動」だということです。同じ価値を今の議員活動につなげていることを嬉しく思いました。