コラム
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2022/4/6
1877    日本人の寛容さ

みんな平和を願っているのに「どうしてこのようなこと(ロシアのウクライナ侵攻)が起きるのか」と意見がでました。侵攻などの行為をやってしまうといつかやり返されますから、何故、こんな行為を実行してしまうのか分かりません。平和維持を前提にしていれば、侵略は選択肢にならないはずです。こんなとき日本人の寛容さという価値が大切に思えます。戦いを避ける、起きた事態を終息させる。それらは日本人が得意とする分野です。

坂本龍馬と陸奥宗光は「刀を抜いて殺し合うような野蛮な国は列強からつぶされる」と思い、列強と同じ価値を持って行動できる近代国家を目指したのです。そのためにすべきことは明らかでした。野蛮な国から尊敬される国へと移行させることでした。争いがあった場合、刀で殺し合う国から全ての人の平等を謳った法の支配の国に向かうことを目指したのです。しかも品格と道徳心のある国になることで、列強から尊敬される国となり対等な立場で条約を締結しようと思ったのです。その価値を実現するために仲間が動いて時代を動かせ大政奉還へとつなげ、新政府の下で不平等条約改正につなげていくのです。

その実現した姿が龍馬や宗光が目指した新国家だったのです。不平等条約の改正は「日本は法が支配する近代国家であり、対等に話し合える国」になったと認められて実現したものです。法に従わないで、意見の違いを争いで解決しようとする野蛮な国と平等な条約が締結できるはずはありません。当時、近代国家であったメキシコ、イギリスなどの国は日本が対等に話し合える国だと認めたから不平等条約改正に応じたのです。

もし日本国でお互いの意見が対立したときに刀を抜く国でいたとすれば、不平等条約は改正されることなく明治から大正へと移り、近代国家として認められるまでにまだまだ長い年月を要したと思います。野蛮な国は世界から相手にされない。それは歴史から学ぶことであり、歴史の鉄則です。

「歴史は繰り返す」使い古された言葉ですが、2022年になっても過去の過ちと同じことが繰り返されています。話し合いの機会を持つことなく、協調することもなく、ただ従わないから、意に反する行動に出る可能性があるから侵攻する。そんな野蛮なことが起きているのです。

国際法、国連憲章、世界秩序、近代国家、平和の願い、武力を紛争解決の手段にしない。野蛮な国はそんな言葉を無視した解決行動に出ています。一体、どれだけ歴史の時計の針を戻してしまうのでしょうか。国際社会のルールの枠外に置こうとしていますが、それは平等、そして対等に話ができる国ではないからです。対等に話し合えない国が同じルールの経済活動や社会活動をすることはできません。野蛮な行動を解決手段としている国が「世界が求めて決めたルールから外れてもらう」ことは当然のことです。

問題は、これからも野蛮な国が野蛮な行動をやり続けエスカレートさせることです。尊敬される国同士で取り決めたルールを護らないからルールから外れてもらう。当然のことですが、ルールから外れたことで、野蛮な行動に拍車がかからないかの心配があります。

歴史は進化していますから、歴史の中で生きるためにはルールの中に戻ろうとするのが通常だと思いますが、今から40年以上前に戻っても、歴史を逆行しても構わないと考えるリーダーがいる限り蛮行を止めるすべはありません。

人は取り残されることや歴史の進化に従わないことを恐れますが、それを恐れないリーダーがいると世界の時計を戻してしまうのです。それは国際的な問題の解決手段を平和的解決から紛争へと、多くの人の犠牲の下で進めてきた平和に向かおうとする歴史の時計を戻してしまうのです。

日本人の持つ寛容さを発揮して、この紛争の鎮静化に向かわせてくれることを切に願っています。