コラム
コラム
2022/1/11
1866    1割の法則

歴史には1割の法則があることを教えてもらいました。得は1割にして残りの9割は配分することが上策だということです。1割の法則は天下人の豊臣秀吉が好事例となります。

豊臣秀吉の時代、全国の石高は2,500万石でしたが、そのうち太閤の領地は250万石だったのです。天下人の秀吉でさえ所有していたのは1割で、残りの9割は大名に配分していたのです。もし秀吉が9割の領地を支配していたなら、全国の大名に不満が溜まり天下を脅かすことになったと思います。自分の得は1割にして残りを分け与えることで戦乱の世を安定させていったのです。つまり力で天下統一していったのではなくて、経済力を与えることで統一を図ったとも言えるかもしれません。

そういえば先の時代の織田信長も鉄砲隊などの武力で統一を目指したと思っていますが、経済から見ると貨幣経済を導入することで領民を労働から解放し、自由な時間を供与することになり軍備を整えられていったとも考えられます。農作の間に武器を取るのではなくて、経済的な裕度を与えられたので武器を取ることにつながったとも考えられます。経済力を得た人や国が力を持っていくことは歴史から分かることです。

ところで信長は地球儀を見て、同じような小さな島国のイギリスが世界を支配する勢いがあったことを知ります。信長はイギリスが世界へ乗り出して行けた理由を「貨幣経済を導入したから」だと氣づいたのです。貨幣は自由になる時間を捻出できるしくみであり、これを導入することで武力も得られることに氣づいた天才だったのです。日本を貿易によって富める国にすることを目指して天下統一を進めていったと考えると、経済力こそ力であることが分かります。

貿易港の堺を自由港として流通を図ろうと考え、東西の経済交流の拠点であった長浜を支配しようとしたのです。自由な経済活動を妨げる勢力を戦によって除いていく過程が統一へとつながっていったのです。やがてはイギリスのように貿易によって日本の近代化を図り、世界の国々と対等な国に発展させようとしたのです。

このように経済に視点を当てて歴史を鳥瞰することで、違う視点で歴史の出来事を捉えることができます。ところが当時の社会では経済の力を理解する人が少なかったので、異端児扱いをされたことや、保守層からは社会の変革を好ましく思われなかったため、信長の世は終わりを迎えたのです。日本が世界の近代化の流れに立ち遅れることになるのです。

さて話を1割の法則に戻します。人は自分が絡んだ利益は独占したいと思うものですが、そうすると協力者が不満を感じるのでその関係は長続きしなくなります。それよりも主体となった人が「利益は1割で良い」と伝えることで周囲は納得するのでその事業は安定することになります。現代の大企業で1割も株式を保有している株主はそれほど多くないと思います。大企業の株式の1割も所有しているなら大株主となります。この事例でも1割の偉大さを感じられると思います。自分のところは1割で残りは配分する考え方が周囲を安定させる方法だと思います。

参考までに徳川家康の石高は400万石だったので、2,500万石の2割弱となります。天下の家康でさえ直轄の領地は2割弱だと思うと、一人で1割以上の利益を得ようとすることは、天下人さえも凌駕しようとする愚かな行為だと思うのです。

もしチャンスが到来した場合は欲を出さないで1割を求め、残りは配分することを心掛けたいものです。