コラム
コラム
2021/12/8
1865    四季

令和3年12月の和歌山文化協会茶道部会の役員会での話です。令和4年4月にお茶会を開催する計画について協議をしました。集まった役員で話し合いの結果、開催月日を4月10日にすることを決定する状況になりました。

そのとき一人の役員の方が「4月10日だと桜の花が散っていますね。そうするとお客さんをお迎えするための茶花に桜は使えなくなりますから寂しいですね。実施する日を一週間、前倒しはできないものでしょうか」という意見がありました。

お茶席でお迎えするお客さんに季節を感じてもらえることを考えての発言は、茶道部員ならではの感性であり、その年だけの桜の花を茶花に飾っている光景が頭に浮かんだので「素晴らしい」と思いました。このとき、役員会の席では文化的な香りが漂いました。

ただ使用する会館の都合のため開催日を変えることはできなかったのですが、このような日本美の感じる美しい議論を交わすことはとても素敵なことでした。

まだ本格的な冬の到来を待つ今の季節ですが、この言葉でもう春の訪れを感じることができました。来年の桜の花をまだ見ていないけれども、この感覚を共有できる日本人の感性は素晴らしいと感じています。

日本には四季があるから美しいと言われていますが、この四季が日本人の感性を磨いてくれたと思います。お茶会も季節を感じるものなので、お茶席にある茶花は小さな存在感を見せてくれます。

でも四季を生きる力を備えなければなりません。四季は気温も湿度も異なる環境を作り出すので、生きていくには環境に適応する力が必要となります。美しい四季ですが生物にとっては生きることが難しい環境ともいえます。真夏の暑さと厳寒の冬の寒さを耐えていかねばならないからです。

春に生まれ、秋に自らの生命を終わらせて土の中に卵を産む昆虫や、土の中で眠って冬を過ごす生き物もあります。木々は葉っぱを散らして冬の寒さに耐え、春になると新芽を出して蘇ります。四季は見事にまで美しい生命の循環を生み出しているのです。四季と共に生まれ変わる生命が、日本の四季の美しさを高めています。自然界の見事なハーモニーですが、それを感じられる日本人もまた美しいのです。

新型コロナウイルスが世界と比較して日本でそれほど拡大しないのは、四季があるからだと聞くことがあります。ウイルスが厳しい日本の四季を耐え抜くのは困難だという理由です。美しいものは厳しさを耐えてきたのですから、外国から来たウイルスが日本の四季を生き抜くことは難しいと考えたいと思います。

神が作った四季と季節に応じた生活様式が私達を護ってくれているように感じるのです。

桜の話に戻ります。

「散る桜 残る桜も散る桜」。

春の嵐に散った桜を飾ることができなくても、私達はその美しい光景を覚えていますから、お茶席のお客さんに春らしい感性を伝えることができるのです。文化の香りがする和歌山県文化協会茶道部会の会員でいられることを誇らしく思った瞬間でした。日本の文化である茶道ですから、四季に応じているのは当然であり、生きる力が宿っているから美しいのです。