コラム
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2021/8/23
1828    新御幸記

かつての熊野古道行幸の記録が「御幸記」として残されています。熊野古道を世界遺産に登録する前段のイベントである「ジャパンエキスポ南紀熊野体験博」が開催されたのが1999年であり、そのことを博覧会実行委員会の嶋田局長(当時)が記録した冊子が「新御幸記」です。平成11年の開催から10年後の平成21年3月31日に発刊されています。
令和3年の今日、手元にあるので懐かしく読んでいますが、当時の思い出が詰まった記録であり「この冊子を書き記してくれたこと」に感謝しています。記憶は日々遠ざかっていくものですから記録として残すことはとても大事なことだと思います。記録がないと関わった人の言葉は残りませんし、現場で戦った人達の活躍や姿も消えてしまうからです。
南紀熊野体験博はジャパンエキスポという経済産業省が認定した国のエキスポであり、熊野古道を全国レベルの認知度に引き上げたイベントであり、オープンエリア型という熊野の舞台だからこそ実施できた博覧会だったのです。これ以降、自然を舞台にした博覧会は実現していませんし、そもそも長いデフレで地方博を開催する力を持ったところはなくなっています。和歌山県がジャパンエキスポという大舞台から世界遺産を目指して開催したことは誇りであり、実行委員会メンバーの言葉を記録していることを嬉しく思うのです。発刊したのは開催から10年後と時間が経過していますが、まだ当時の記憶が残っていることや、担当だったメンバーが現役だったことから、読み返してみると初々しい言葉の記憶として書かれていることを感じました。令和の現在、あれから20年以上が経過していますし、現役を退いたメンバーが増えていることから、「新御幸記」と同じような新鮮な言葉で表現することは難しいと思います。

記憶では同じ広報部だったメンバーから「嶋田さんが博覧会の記録を書いているようです。メンバーにも原稿の依頼があると思います」と聞きました。その後、暫くして原稿の依頼があり、僕も投稿させてもらいました。それが「新御幸記に寄せて」です。締め括りに「次に続く2009年の物語を今の私達が創りたいと思っています」とありました。先輩たちが築いてくれた和歌山県を、後を託された私達の世代が創り上げていく気持ちを記していました。
「新御幸記」からさらに10年以上が経過した今、読み返してみて「果たして次の和歌山県を築いてこれたのだろうか」「先輩達の意思を引き継げているのだろうか」と感じます。
もうひとつ驚くことがありました。当時、実行委員会のトップだった垣平局長と嶋田次長の年齢が51歳前後だったということです。メンバーとして働いていた僕は、垣平さんと嶋田さんのリーダーシップに尊敬の念を抱き、博覧会にお迎えする各界トップの方々との対応の見事さに魅了されていました。「県庁の部長や局長クラスの人の人格や能力、経験は凄いな」と感じたものです。それが51歳前後だったことを知り驚いています。果たして51歳の自分が南紀熊野体験博を任されたとしたら「メンバーをリードして成功に導くことができたのだろうか」と。今思うのですが、垣平さんも嶋田さんも、51歳とは思えない雰囲気と経験をお持ちだったことが分かります。

世の中の多くの仕事は時間と共に結果も議論も、そして辛さや嬉しさも消えていきます。しかし南紀熊野体験博は和歌山県の歴史を飾る一頁として刻まれています。残る仕事に携われたこと、記録として残っていることを嬉しく、少しばかり誇りに思うのです。