コラム
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2021/8/24
1829    紀州宗光龍馬会

全国龍馬社中近畿北陸ブロック大会が和歌山市で開催されました。和歌山市で龍馬会のブロック大会が開催されるのは初めてのことであり、郷士坂本家十代の坂本匡弘さんもお越しになられたこともあり和歌山県として誇りに思う開催です。

「全国龍馬社中」の大会が開催されるには当該県に龍馬会が存在していることが条件なので、これまで和歌山県で開催されたことはありませんでした。和歌山県に龍馬会が存在していなかったからです。

現在は「紀州宗光龍馬会」が正式に龍馬会として認められているので、和歌山県も遅ればせながら参加していることになります。全国で空白県は和歌山県だけだったこともあり、令和元年の「全国龍馬社中役員会」に出席した時の出迎えで「ようやく紀州が来てくれました。紀州と土佐はこれで和解できましたね」と挨拶があったので「いろは丸事件のことはこれをもって終わりにしましょう」と答えました。

紀州徳川家と坂本龍馬との間には「いろは丸事件」があり、かつ「龍馬暗殺の犯人は紀州藩ではないか」と言われていた時代がありました。暗殺の犯人は紀州藩ではなく京都見廻組であるという説が有力なので紀州藩説は消えましたが、当時、龍馬会における土佐と紀州の関係において、そんな話が交わされていました。

そして令和3年8月21日、和歌山市のビッグ愛において、全国龍馬社中近畿北陸ブロック大会が開催されるまでに至ったのです。和歌山県にいる龍馬ファンとして嬉しい出来事であり、近畿、北陸の龍馬会との間の議案審議および交流機会を得られた記念日となりました。

そして大会に参加した龍馬会のメンバーはブロック大会終了後に「和歌山県誕生150年、和歌山市政130年、陸奥宗光先生乃像建立50周年」記念講演会と記念式典にも参加してくれました。その理由は、陸奥宗光伯は坂本龍馬が認めた弟子であり、龍馬が目指した新国家の意思を引き継ぐ者として明治時代にメキシコやイギリスなどとの間で締結されていた不平等条約改正につなげたことを知っているからです。

和歌山県の龍馬会の名称が「紀州」と「宗光龍馬」となっていることが、このことを示唆しています。今回は同じ志を持つ同士として、式典に駆けつけてくれたのです。

簡単なように思いますが、現実的に言うと人に来てもらうことはとても難しいことなのです。石川県や福井県、そして京都府は勿論のこと、愛知県を始め遠く青森県や長崎県からも龍馬会のメンバーが和歌山県に来てくれたのは、「紀州宗光龍馬会」会長がこれらの龍馬会の役員会に参加して「陸奥宗光伯の功績と龍馬との師弟関係」を講演してきたことや、全国龍馬社中に参加して和歌山県を強くアピールしてくれたことが大きな要因です。人間関係を築いたことで、ブロック大会を和歌山県での開催を決定してくれて、今回来県してくれることになったのです。

今回のブロック大会と記念講演会と記念式典を通じて、紀州と来県してくれた龍馬会との人間関係を築くことができました。しかも郷士坂本家十代の坂本匡弘さんも和歌山県にお越しいただいたことで重みがつきました。そして講演会と交流会を通じて陸奥宗光伯の功績を知ってもらい、龍馬との絆が強かったことも認識してくれました。

龍馬と宗光が夢見た時代は今も進行形ですから、その意思を受け継いで行動しています。