コラム
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2021/8/20
1827    ソレント半島

令和3年8月15日、偶然、観た「世界遺産」の番組はアマルフィがテーマでした。イタリアの世界遺産であり、和歌山市の雑賀崎と似た光景と聞いていることに加えて、アマルフィはソレント半島にあると説明していたので余計に興味を持って観たのです。
イタリアのソレントにはローマ駅から出ているバスで旅をしたことがあるからです。ローマからソレント、そしてポンペイに向かうバスでした。当時、イタリアの南部の海はきれいであり、「ナポリを見て死ね」というイタリアのことわざがあるほどきれいな光景だと聞いていたので、ローマから南へ向かったのでした。

出発が朝早かったこともあり、バスに乗車してローマをでる頃は眠りに就いてしまいました。バスではガイドさんがイタリア語で解説してくれていたのですが、意味が分からないこともあり眠っていたのです。どれぐらい時間が経過したのか覚えていないのですが、突然ガイドさんから体を揺すられて起こされたのです。意味は分かりませんが「起きてこの景色を見ておきなさい」と言われたように感じています。

バスから見た景色は驚くような光景でした。見たことのないようなきれいな半島と青い海と空が視界に飛び込んできたのです。ガイドさんは「ソレント・・ソレント」と何度も繰り返していたので「ここがソレントだ」と思ったのです。目が覚める景色とはこのことで、眠気は消えてしまいました。現在は便利な時代で、ローマからソレントまでの距離を調べると212kmもあることを知りました。ナポリ湾を取り囲むように位置しているのがソレントで、当時は「地球の歩き方」をもとに行ったため、見所も美味しいお店も知らなかったので残念なことをしました。ただ「南イタリアは危ないけれどきれいなところ」という評判通りだったと思います。
「世界遺産」の番組では、このソレント半島を回り込んだところにアマルフィがあることを知ったのです。

そしてバスはポンペイに到着しました。ポンペイの遺跡は行きたかったところで、西暦79年にヴェスヴィオ火山の噴火によって一昼夜にして埋もれてしまった都市です。一昼夜にして火山灰に埋もれてしまったので、当時のまま残されている遺跡です。

ここでもガイドさんが早口のイタリア語で説明をしてくれました。十分に理解できなかったのですが、当時の生活様式がそのまま残っていることを強調していたと思います。家庭内の台所や部屋の跡があり、街中には散髪屋や公衆浴場、レストランや円形劇場の跡があったと記憶しています。古代に現代と同じような街が形成されていることに驚きましたが、人骨の跡もあり当時の悲劇がそのまま残っていることにも驚きました。

インターネットでポンペイの写真を検索したところ、少しですが当時の記憶が蘇ってきました。ポンペイを訪れたのは1983年頃だったのでデジタルカメラもなく、記録をするには適した時代ではありませんでした。

今思い返すと南イタリアのソレントとポンペイに行った時は、十分な歴史の知識はありませんでしたが、その後につながる経験となりました。友人とフローレンスやナポリも含めた会話ができたのは、同じ経験を共有できたことで成り立ったからです。23歳の頃の懐かしい思い出がアマルフィの番組で蘇りました。あれから36年が経過しています。