コラム
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2021/6/18
1789    書いて残すこと

その日の出来事や感動した出来事は、その日、遅くとも翌日までに書かなければ永遠に消えてしまいます。記憶とは薄れやすいもので、どんなに感動したことでも日が経過するに連れて消えようとするものです。

大きく笑顔になった出来事、涙を流すような出来事、テレビや映画を観て感動したことなど全ての出来事は、自分で書いて残しておかなければ、同じ感動を再び味わうことはできなくなります。記憶は薄らいでいきますが、自分が書いたものは読み返すことによって感動を蘇らせることが出来ます。

優れた本や映画が何度も感動するのは、読み返せるからであり、再び観ることができるからです。以前、読んで感動した本や観て感動した映画でも、それきりだと思い出せなくなっていきます。再び読めるから感動が蘇るのであり、再び観ることができるから、昔見て感動した映画で感動することができるのです。

だから毎日の出来事は書いて残すことがとても大事です。毎日の記録は大げさに言えば人生の記録ですから、各施設に足跡を残すことが出来ているのです。それに読み返すととても新鮮であり、その時、何を考えていたのか分かります。そして文章は能力が最も表れますから、一年前の自分よりも成長していることや、十年前の自分のレベルが「こんなに低かったんだ」と分かるので、年月と共に随分と成長していることが分かるのです。

記録は大事ですが、成長していることを実感することも大事なことです。成長を感じられることは、そこからさらに一歩前進する力になるからです。

また自分で書いた言葉も残されていることになります。時に「この文章はいい出来だ」とか「勝手に書けていた」ことがあります。好きな言葉や人に話せる言葉を残すことや、生み出すことも可能なのです。

自分で書く文章は感動を詰め込んだ缶詰みたいなものです。蓋をしておくと閉じ込められているので味や香りは分かりませんが、蓋を開ける(読み返す)と感動(味や香り)を味わうことができるのです。しかも何度でも味わうことが可能ですし、人に味や香りを感じてもらうことも可能なのです。

ところが書いておかなかったことで、当時の感動が消えてしまうことがあります。僕の場合で言えばハンカチ王子の早稲田実業とマー君の駒大苫小牧が戦った夏の甲子園決勝の延長戦です。延長15回で勝敗が決しなかったため再試合になるのですが、テレビで観ていたのですが、とても感動しました。「これは書いておきたい」と思ったのですが、その試合のネットのコメント欄にたくさんの書き込みがあったのです。多くの人が「感動をありがとう」「二人の投げ合いに感動しました」などのコメントが満載でした。

感動したものの自分が体験したことでもなく、現場にも行っていなかったため「多くの人が書いているから僕が書く必要はない」と思ったのです。ですから今、その試合のどこでどんな感動を味わったのかを思い出すことはできません。もし書き記していれば読み返すことで「あぁ、この場面に感動したんだな」と蘇ることになります。過去の出来事で書いておかなかったことを思い出すことは難しいことです。

毎日の出来事や小さな感動は、その日のうちに書いておきたいと思います。