コラム
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2021/6/17
1788    歴史を語るために

「歴史は虹のようなものである。遠くから見れば美しいが近づくと見えなくなる」。こんな趣旨の言葉を残したのが作家の渡部昇一さんです。

小名木善行さんは講演会の後の懇談会で「話し足りないところがあったと思います。その足りないところは皆さんが補ってください」と発言されました。

ある人が「自分の人生を書こう。どれぐらいの文章になるんだろう。きっとノート百冊以になると思うので買っておかなければ」と思ったそうです。いざ書き始めると、ノート一冊どころか100ページを埋めることもできなかったそうです。「これまでの自分の人生には、こんなに出来事がなかったのか」とがっくりしたと聞きました。

これらは考えさせられる言葉です。

渡部昇一さんの言いたかったことは次のことだと推測しています。

「歴史で残されている出来事はとても荒いので、歴史上の事件は詳しいことは分からないのです。また偉人が生きた様も荒くて分からないのです。残された資料は荒いものですが、足りないところをつなぎ合わせていく作業を行って、虹のように見える姿にしていくのが歴史作家の役割なんです」というものではないでしょうか。

少ない手がかりを基にして、前後の出来事や関係する人物の動きなどから推理力を働かせて、出来事と出来事のすき間の月日を埋めていきます。それが完成すると人に語れるような美しい歴史の虹になるのです。

小名木先生の言ったことも同じような趣旨だと理解しています。

「二日間という短い時間で私が話したことは歴史の一コマの中の更にひとかけらに過ぎません。聞いたことだけではその話はどんな意味を持っているのか分からないと思います。そこで講演を聞いてくれた皆さんの力が必要です。私が話した話の中で辻褄が合わないことや、途中が分からないので物語として話すことができないことは、自分で推理してくれたら良いのです。もっと言えば推理力を働かせなければ物語を完成できないのです」という意味だったと思います。

自分の人生を書くことも同じです。

「自分が思っている以上に毎日の出来事は記憶から消えています。昨日の出来事でも全てを思い出せませんし、一週間前の出来事であるなら尚更です。一週間前の出来事を手帳やスケジュールを見ないで思い出せる人は多くないと思います。人生は毎日の出来事の積み重ねですから、日々の出来事を記憶していなければ書くことはできません。人生は一気に書き切れるほど短いものではなく、何もないことはなく、実は毎日記さなければ分からないものなのです。自分でさえ分からないのですが、他の人は絶対に分かりません。

以上はみっつの事例から僕が推測したものです。歴史は荒くて事実ははっきりと分からないものだけれども、多くの人達が史料を集めて読んで解釈してきた結果であり、もっと言うなら歴史の荒波の中で残って来たものですから、素人の推理よりも格段に信ぴょう性は高くなっているものです。私達が語る歴史は、史料の解釈と推理力によって構築されていると思います。故郷の歴史や偉人の生き様を語る機会があります。それは推理力を働かせて物語にしなければ、聞く人にとってつまらないものになってしまいます。つまらないものは残らないのです。楽しく学べる物語にすることで人は聞いてくれますし記憶に残ります。更に話を聞いてくれた人が物語として人に伝えてもらうためには、物語として感動を与えることが必要です。

幸い歴史は荒いものですから、感動を与えられる物語になるよう推理力を働かせて故郷の人に伝えたいものです。