コラム
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2021/6/1
1779    美しいモノを創る

「邪魔をする」「嫌がらせをする」姑息な手段をとって、責任感をもってやろうとしていることを妨害すること、速度を減速させることは人としてやるべきことではありません。

しかも自分が前面に出るのではなくて陰でこそこそ企むのであれば、尚更、卑怯な行為だといえます。人か集まれば、この姑息な人に従う人がいますが、正義感を持って立ち向かう人もいます。

そんな姑息な人の行動の背景はとても分かりやすいものです。その時代に権力を持っている人を後ろ盾にしてモノを言うか、その時の肩書にモノを言わして相手に迫っているのです。言い古されたことわざのように、虎の威を借りている狐のようなものです。

人間社会は捨てたものではなくて、どんな団体や組織、集団にも正義感を有している人がいるのです。そこから背後で糸を引いている姑息な行動は見透かされてしまいます。

最近、思うのです。言葉と行動には美しいモノと、美しくないモノがあります。

美しい言葉と行動は接する人を感動させてくれます。美しくない言葉と行動は接する人を嫌な気持ちにさせます。美しい言葉を使い行動をしている人の元には、やはり美しい人が集まりますから、益々、美しい世界へと向かいます。組織や団体であればどんな時も団結をして立ち向かっていけます。

美しくない言葉を使い行動する人の周囲には、やはり同じような人が集まります。その組織や団体は、やがて見放されていきます。外は美しいモノに接していたいと思いますし、美しい景色を見たいのです。

この世には美しいものを残したいと思いますし、未来は美しい世界であって欲しいと願うのであれば、自らの言動を美しいものにしたいと思います。

ところが現実には書くのも嫌な言葉と行動が幅を利かせています。前述の「邪魔をする」「嫌がらせをする」「騙す」「悪口を言う」「デマの噂話を流す」など、書いているだけで気持ち悪くなる言葉があります。でもこの言葉に従って人を陥れている奴もいるのが現実です。

これらの言葉を読むと、私は「使いたくない」「美しくない」と思うはずです。自分の周囲にこんな社会を残してはおけません。

「この世で見る景色は美しいものでありたい」。多くの人はそう思うはずです。美しい景色は人の心で決まります。心が言葉になり行動になっていくからです。

世界は自然と人間が創り上げています。自然は美しいモノだけを創ってくれています。美しいモノとそうでないものを生み出しているのは人間なのです。この世からそうでないモノを減らすためには、清い心で世界を創っていくことです。如何に言葉と行動が大事なのか分かります。

こう言うと「きれいごとを言っても始まらない」と言う人がいますが、「きれいごと」すらいえないのであれば、美しい世界が広がることはありません。しかも過去から築いてきた世界を、私達の世代が汚してしまって良いはずはありません。

姑息で猜疑心の強い人、妬みで行動する人、陰口を言う人。美しいものは脆く、そうでないモノは強固なのです。だからそこに同化しないで欲しいのです。美しいものは脆いからみんなで創り上げる必要があるのです。みんなで築くから価値があるのです。