コラム
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2021/5/31
1778    美しい行動

鹿島アントラーズテクニカルディレクターのジーコさんのインタビュー記事「日経新聞。令和3年5月27日」を読みました。

  1. 「選手として初めての海外挑戦となったイタリアでは『記憶と忍耐』の重要性を学びました。学習したからといって、すぐに成果に変換できるわけじゃない。学びを成功体験に変えて美しい記憶にするには、忍耐なくして不可能だということを」
  2. 「人間、亡くなるときがくると神様が連れにくるわけですが、そうなる前に私が学んだ知識や経験を残すことはできる。それを次の世代が生かしてくれたら、サッカー界、ひいては世の中を発展させることにつながるのではないでしょうか」

この記事は大事な二つのことを記してくれています。

学習してもすぐに成果に結びつくことはない。でも学習しなければ成果を出すことはできないということです。学んだことを結果として出すには忍耐が必要だということを。学ぶことは難しいのですが、忍耐はさらに難しいことです。結果がでない苦しい月日を耐えることで成果を導くことは珍しいことではありません。

そうした苦労を伴ってやっと自分が得た知識と経験を持ち続けることはできません。もし持ち続けていると引き継げなくなってしまいます。それよりも人に知識と経験を伝えることで社会に残すことができます。

それは身体と心が消えても社会で生き続けることであり、世の中を変え続ける基礎になるものです。知識と経験を与えることを「人以上の努力と耐えてきた長い時間をかけて得たものなので、人に与えるのはもったいない」と思って惜しんではいけないと思います。

これまでの時代を生きた多くの人達が得た知識と経験が、この社会を進歩させてきたのです。それは小さなことかもしれませんが、その引き継がれたものの積み重ねがあって現代があるのです。

現代はこれまで生きた人達が残してくれた結果の集大成だと思います。結果が残せたのは、生きるために懸命に学び、不安を克服し未知の分野に飛び込むような経験をして、人のために思いやりを以て自らを犠牲にして、そして社会を良くするために正義を貫いたことなど、時代を前進させてきた人達の生きた結果が現代なのです。

「もし誰かが怠けていたら」、「もし誰かがいなかったら」、「もし挫折して立ち上がっていなかったら」、「もし行動を起こしていなかったら」、そして「もし生きることを諦めていたら」、現代の姿は変わっていたと思うのです。批判や中傷、奪い合いなど、進歩ではなく後退させるようなことをしている時間はありません。

未来はこれまで生きた人達の学びと忍耐と行動などが全て積み上げられたものだと思うからです。苦しくても、辛くても、もう駄目だと諦めかけても、立ち止まっても、そこから明日に向かって行動した人達が築いてくれた時代の上に、私達は今立っているのです。

こんな壮大な歴史の最先端の世界で生きていることに感謝したくなります。だとすれば懸命に生きた人達と同じように未来を築くために知識を得るために学び、それを成功体験にするために今を耐えて、美しい世界を創り上げていく。それが私達のやるべきことです。

苦しくとも学び、結果を出すために行動して美しい景色を見ることが生きることであり、未来を創っていることなのです。美しいものを見て、美しいものを創り、美しい世界を未来に伝えようとしたら、私達は自然と美しい行動を取ることになります。