コラム
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2018/12/20
1743    母の最期の一週間

母の最期の一週間はどんな行動をしていたのか。どうしても知りたくて足跡を追いました。

平成30年11月5日、月曜日。

Yさんの家で手作りのコロッケをもらっていました。このコロッケは友人に配ると共に、僕が実家に戻った時に食べられるよう冷凍保管してくれていたものです。途中、貴志川のSさんから電話が入り母は実家に戻っています。実家に来てくれたSさんにコロッケを渡していました。その時、母はSさんに「今日から三日間、章浩は福島県に出張に行っています。帰ってきたらコロッケを食べさせようと思います」と帰ってくるのを楽しみに話していたようです。体調も行動も良好でした。

11月6日、火曜日。

花桐会のメンバーで岩出市までランチに出掛けています。その後貴志川市の産直販売所の「よってって広場」に立ち寄り、お墓参り用のお花を購入しています。一緒に行ったYさんによると「いつもよりも豪華なお花を買った」ということです。

その後和歌浦の毘沙門寺に亡父のお墓参りに行っています。そこに今買ってきたお花を供えています。母は「いつもより立派な花を供えてきました」と話していたように思います。

11月7日、水曜日。

健康体操に行く日でしたがキャンセルしています。僕は福島県の出張から和歌山市に戻り、午後6時頃、県庁から直接実家に行きました。実は、僕は火曜日から胃の痛みがあり体調を崩していました。実家にいたものの胃が痛くて満腹感があり夕食は食べられない状態でした。

そのため母から胃薬をもらって服用しました。母は「胃薬を持っていくように」と言って一週間分ほどの胃薬をくれようとしたので「胃の痛みは直ぐに治るから、こんなにたくさんいらないよ。お母さんの分がなくなってしまうから少しでいいです」と言ったのですが、「お母さんは必要になればまた医者からもらうから持って行って」と手渡してくれました。

胃薬をいただいたのですが、この時はまだ胃が痛くて母が作ってくれていた夕食は食べませんでした。「少し横になっています」と言って、炬燵で休ませてもらいました。

母の体調に変化は感じられませんでした。この時、食事を食べておけば良かったと後悔しています。母が作ってくれた最期の夕食になったからです。

11月8日、木曜日。

午前8時50分に北浦先生が迎えに来て接骨院に行っています。毎週、木曜日の午前は北浦先生ところに行くので普段通りの行動です。母から「胃の痛みは大丈夫ですか。これから忙しくなるので無理をしないように」とラインが届いています。僕は「大丈夫です」と返答しています。

11月9日、金曜日。

午前はYさん宅を訪ねています。その後、Yさんの近所のNさん宅に行き「後援会はがき」を持参してくれています。また健康体操で使うためのズボン四本の裾直しをNさんに依頼しています。背が縮んだのか裾を短くしてもらうよう依頼したそうです。

そして母は、Yさんの家に「章浩の新しいポスターを貼ってくれていた」ととても喜んでくれています。午後からももう一度、Yさん宅を訪ねているのです。

この日の体調は不明です。母は血圧と脈拍を起きた時と寝る時に測りその記録を毎日、手帳に記録しているのですが、金曜日の朝と夜の記録がないのです。つまりこの日の欄は空白になっています。血圧を測ることを忘れることはないと思うので、もしかしたら体調が優れなかったのかも知れません。

そして就寝後の日付が変わった午前1時30分頃、時刻は推定ですが母は息を引き取っていたようです。布団を肩まで掛けていたので苦しんだ様子も苦しんだ表情もありませんでした。眠ったままの表情だったことから苦しみはなかったように思います。

但しベッドの部屋から出たところに食べたものを吐いた痕跡があり、トイレにも吐いた痕跡がありました。吐いて気分が回復したのか、その後、ベッドに入っていたようです。

11月10日死去。今更ながら、母の最期の一週間の残念な記録ですが、僕にとっては母の大切な記録です。